愛宕神社 埼玉県北葛飾郡杉戸町下高野  
現在の祭神 軻遇突智命
本地 勝軍地蔵

「埼玉の神社 大里・北葛飾・比企」

愛宕神社

  杉戸町下高野363(下高野字出戸)

歴史

 当社は、戦国初期の高野城主一色氏兼の創建と伝え、『高野村志稿』には「高野奇跡考」として「一色氏兼の祭る所にて勝軍地蔵なりといふ、氏兼出陣毎に此愛宕神を祭りて冥助を蒙りしとて此所に一宇を建立し此神を勧請したるに参詣の男女夥しく人家繁昌しければ当時此辺を愛宕町と名づけたり」と載せている。 こうして神社を中心として形成された「愛宕町」は、江戸期に入って農村となり、当社は字出戸の集落である上株の鎮守とされるようになった。
 社殿内に祀られている石祠には勝軍地蔵が刻まれており、『高野村志稿』の記事を裏付けている。 この石祠正面には「来復山愛宕宮東大寺」の刻銘があり、『風土記稿』にも「東大寺持」と記されていることから、明治初年の神仏分離までは東大寺の管理を受けていたことがわかる。

信仰

 祭神は軻遇突知命で、神仏習合時代の本地仏は、勝軍地蔵である。 『高野村志稿』にあるように、創建当初は一色氏兼が武運長久を願って祀ったものであった。 しかし、その後、次第に火伏の神として信仰されるようになり、現在に至っている。 この神の御神徳により、上株では昔から火災がないと言い伝えられている。