太天神天満宮 群馬県高崎市上佐野町  
現在の祭神 菅原道真
本地 十一面観音

「上野国群馬郡佐野里天満天神宮鎮座縁起」

鎌倉の右大将頼朝公の次男実親卿の治世に佐野三郎正常といふ諸侯あり、数千石を領して当国佐野の庄園を知行し給ひ家門富て陶朱倚頓の貯庫に盈、智勇豊にして陳乎子房の難とする所を拉〓といへとも盛者必衰、怨憎会苦の八苦脱かたく佞臣のために讒せられて忽に誅せられけり。 一人の孩児を懐の中に鐘愛しけるか譜代恩顧の侍に三輪忠太といふ者抱置、鎌倉を立退き年来の領内なれは佐野の里に来て所縁を求孤独衰窮の身となりて撫育してけり、成長して是を佐野源左衛門常世と云へり、常世寐寤に歎思惟しは、我適弓馬の家に生て空しく民間に憔悴し父祖の名を顕す事を得さる事生涯の中の恨千般なり是併凡力の及ふ所にあらす 彼延喜の御宇、菅丞相は時平公の讒に逢給て流刑に沈給ひしも梵天帝釈の哀憐に依て天満天神と現し神徳を影給しを肝心銘して信仰し奉り社頭に詣すれとも一鵞の貯なく朝夕の煙さへ絶とすることくなれは、朝な夕な身を清浄の河水に浴し心を北野筑紫の両楹に詣しめて御衣木八寸の神影を自から彫奉り茅茨も剪らす柴掾も削さる神祠を構営して鎮座し奉り、
[中略]
本地十一面観世音菩薩利生の方便観音妙智力能救世世間苦は普門品の金言垂迹天満天神能満所願の勲用は現益を蒙りし人皆能く知所なり
明治40年頃、定家神社に合祀。 昭和25年に太天神天満宮を分祀・再建