大稲荷神社 神奈川県小田原市城山1丁目 旧・村社
現在の祭神
大稲荷神社田中大神・宇迦之御魂大神
末社・愛宕神社火之迦具土神・破无神
本地
稲荷大明神馬頭観音
愛宕権現勝軍地蔵

「新編相模国風土記稿」巻之二十五
(村里部 足柄下郡巻之四)

谷津村

大稲荷社

古は村東田間にあり、 田中稲荷と唱へしを、寛永三年、今の社地福泉寺後の山上に転じ、この社号に改めしと伝ふ、 (大久保家記別集に據に当社昔は武田氏の臣曲淵庄左衛門吉景の屋敷中に鎮座せしを、勝頼滅亡の後曲淵の一族、当所に土着せし頃、彼社を爰に移せしとぞ、或は宇津左衛門五郎忠成、信崇ありし社なれば、大久保七郎右衛門忠世、当城を賜はりし後、此地に勧請ありしとも伝へり、其後加賀守忠増城主たりし頃、寛永二年二月、忠増の家士清水清左衛門が妹に神託あり、当年の内城主吉事あらんことを告しに、果して其年の十二月、忠増老職に補せらる、爰に於て弥信崇あり、福泉寺をして別当たらしめ、且其神威大なるを以て、大の字を冠し、今の如く神号を唱へしとなり)
[中略]
当村及城下町の内竹花・須藤・大工三町の鎮守なり、 神体及本地仏馬頭観音を安置す、 祭礼六月十五日、隔年に神輿巡行の儀あり、これ宝永六年より始りしと云り、 又初午及び六月十六日の二度に、湯立の式あり、 社内に稲荷十五座、(板札にて、木本・兵虎・山本・熊谷・官位・烏森・丸女・杉木・五祖子・白山・宝珠・姫宮・若姫・山中・三社等の神号を記す)及第六天(是も板札に神号を記せり)を勧請す、 幣殿・拝殿あり、 別当は福泉寺今も兼帯せり

安国寺

古義真言宗、(大工町蓮上院末)愛宕山善養院と号す、[中略]本尊地蔵、(長二尺二寸五分、行基作、文明三年大森信濃守氏頼再興す)及不動(長一尺八寸五分、智証作)を安ず、
[中略]
△愛宕社 山上にあり、幣殿・拝殿あり、天平宝字年間、夢中道人の剏建なり、本地勝軍地蔵は、(乗馬の像、長一尺余)道人の自作と云、 元暦中堅雅再興、暦応二年尊氏建立なり、 (内陣欄間の障子、須弥壇の丸柱二本は、尊氏建立の儘なりと云)