出立神社 |
和歌山県田辺市元町 |
旧・村社 八立稲神社の境外末社 |
「大和・紀伊 寺院神社大事典」
出立王子社
上野山台地の中腹南側に位置。
院政期の記録にみえる熊野九十九王子の一で、田辺(部)王子ともいった。
当時の鎮座地は確定できないが、江戸時代には会津川河口付近の右岸にある上野山台地の南麓にあったり(万代記)、同台地上の南隅に祀られたりしていた。
明治5年(1872)村社となったが、同40年元町の現八立稲神社に合祀され、現在はその境外摂社。
旧社地は県指定史跡。
祭神は月夜見神。
寛政4年(1492)の田辺領神社書上帳(田所文書)には御神体十一面観音とある。
「中右記」天仁2年(1109)10月22日条に早王子(芳養王子、現田辺市)を経て「次行田之陪、於王子社又奉幣」とみえ、「後鳥羽院熊野御幸記」建仁元年(1201)10月12日条には「出立王子(於此浜御塩コリ、御所有御禊)」とある。
当地での塩垢離はとくに最重視された。
[中略]
江戸時代には若市一王子社とよばれ、西ノ谷村(現田辺市)の産土神であった。
「続風土記」は古くは拝殿・回廊があったが、天正(1573-92)の兵乱でことごとく破損、その後再興して本社のほか摂社太神宮があると記す。
[中略]
【塩垢離】 田辺市江川町の西方海浜は塩垢離浜、出立浜と称され、熊野参詣者が海水を浴びる塩垢離が行われた。
正中3年(1326)以前の成立とされる熊野縁起(写、仁和寺蔵)の参詣之間作法条は、役行者が22歳で熊野詣をした時、道中で出会った「不思議神変」を書上げて、「清浄地浜ノ塩ヲ浴ルハ、悪業煩悩ヲ洗浄ス、祓スヘシ」と記している。