妙覚宝殿(御真殿) |
神奈川県南足柄市大雄町 |
大雄山最乗寺(曹洞宗寺院)の境内社 |
「新編相模国風土記稿」巻之二十
(村里部 足柄上郡巻之九)
関本村
最乗寺
大雄山と号す、
曹洞宗、(能州櫛比村、惣持寺妙高庵末、庵は惣持五院の一なり)
応永元年起立す、
開山了庵は当国大住郡糟屋庄の人なり、名は慧明、了庵は其号なり、
[中略]
△道了権現社 円通橋より石階三所(総て百七十五級)を登て社前に至る、
神体木の立像(座を合て長二尺五寸)及び大天狗小天狗の二像を置、
道了は旧了庵の徒弟たり、
寺伝に據に無双の大力にして、当山を開く時、師に力を合せ、一人にて大木大石を除き、其功少からず、
又師の為に、当山守護の誓願を発起し応永十八年、遂に天狗となりて、山中に住せり、(上曾我村竺土寺記曰、師遷化他邦之後、道了俄頃変色、謂衆云、因縁終茲、然尽未来際、恒在此山、守護於伽藍、言了而忽化雲上去、実応永十八夏五月二日云々)
永禄三年、北條氏康当寺に詣し時、怪異の事あり、(【小田原記】曰、八月氏康関本最乗寺へ御参詣あり、当寺七堂伽藍の建立なり、開山の弟子道流と云、大力の僧ありしが、生ながら天狗となり、此山を守護せんと云、大誓願を起し、則天狗となり、山中に住み、悪知識の住を為せば、必ず来りて障碍をなす事、疑ひなしなどゝ、寺僧事々しく語りかれば、御供の面々、大ひに疑ひて末世の不思議なりなどゝ、さゝやけるに、大風悉く吹落、寺のやね皆吹とりて去、真に風もなく、晴たる天気に如此のこと、天狗の所為無疑と、後信仰あり、則普請被仰付、如本修造あり、かゝる生天狗も今もありし、相州の不思議是なるべし)
例祭正五九月二十八日、(丑刻に供物を備へ、卯刻に開扉し、大般若経を転読するを例とす)
毎月二十七日の夜、松露飯を供す、
△奥ノ院 道了社より八町を登り、深林の内にあり、十一面観音を安置す、道了の本地仏なり