当寺なる胡社も、元と吉田に在しを、今の立町坪屋彦三郎か先祖銭屋又兵衛と云者、此町の年寄役なりしか、福島殿に願ひ、かの胡を此地に乞請、自力に一社を造立して祭り、又小堂を草創して胡本地観音を安置しけるより、胡町と呼び、此町と東引御堂町とに月四日づゝ、合せて八日の市を立て物の売買をせし故、市の町とも呼けるか、今も胡町とも、市の町とも云ならはしたり。