八幡宮 山口県山口市仁保下郷 旧・郷社
現在の祭神 応神天皇・神功皇后・市杵嶋姫命・湍津姫命・田心姫命
本地 阿弥陀如来・薬師如来・地蔵菩薩

「山口県風土誌」巻第百三十七

仁保村 八幡宮[LINK]

八幡宮(仁保下郷村の仁保市、旧除高三石三升) 祭神田心姫命・湍津姫命・市杵島姫命(正殿)応神天皇(西殿)神功皇后(東殿) 建久六年秋、三浦重経相模国鶴岡より霊を分ち祀る
(平子重経所領仁保・深野・長野・吉田・恒冨・多々良の総鎮守として建立、もと源久寺の東にありしを、貞和三年重経の子重嗣今の地に移す。慶長五年毛利秀元卿造替、後回禄す。この時鎮坐のはじめ蒲生と云ふ所の杉の梢に降りかかれると云重経が嘗て鶴岡八幡宮へ奉納せし八口の剣の一なりと云ふ剣をばはしめとして、社宝皆烏有となりて貞和の棟札のみ残れり。按るに正殿に三女神を祀れるを以て見れは、もと厳島社なるに、八幡宮を相殿に祀りて八幡宮とせしには非らさるか、猶よく考ふへし)

八幡宮本地堂[LINK]

八幡宮本地堂(仁保下郷村) 中阿弥陀、左右薬師・地蔵。 棟札あり、云、阿弥陀薬師地蔵、元亀四年為大風所破、寛文十庚戌益田越中権守就宣、承防長刺史光録大夫大江姓綱広殿下而再興云々、山口町奉行兼常喜兵衛尉、代官佐村長右衛門、皆寛文竜集庚戌端午日、前永平独嘯窓台淵書于瑠璃光室中、明治改正に廃す