「作陽志」
当寺は大垪和東村に在り。
府より三里半。
縁起あり、其の文左の如し、
作陽城西南、久米北郡垪和郷、二上山両山寺は歴世遼去し未だ其の由来に詳しからず。
今ひそかに遺録を摘い旧聞を撈り推して以って其の開基を原ぬ、曩昔伝教大師たまたま此州にいたり二峰巍々たるに相い始めて法基を建てついに台門繁営の地と為るなり。
それ名を設くるゆえんの者を校ぶるに、一気既に動きて両儀を生ず。
乾坤あり、陰陽あり、人に男女あり、獣に牝牡あり、翼に雌雄あり、神に内外二道あり、法に壱金両界あり、一巒に両峰の形体を備うるは、天地自然の妙容なり、故に山を二上山と名づけ、寺を両山という。
其の名を得と謂うべきなり。
かつ二仏を安置して本尊と為す。
一は正観世音菩薩なり、一は弥陀善逝なり。
二山は二尊を現わし、現未二途の瞑暗を導かんと欲す。
其意深きかな。
又別に大明神の宝殿を建て此山の鎮守と為す。
けだし明神は本地釈迦牟尼仏なり。
[中略]
鎮守祠 本堂の北に在り。
八頭大明神と号す。
武甕槌命を祭る、祭は八月十五日。
按ずるに大和国二上嶽に豊布都神社座す、また武雷命という。
今本州の二上山の鎮守を填して武甕槌命と為すは信に以って因あり。
又役小角は葛城山二上嶽より金峰山に至り山神をして石橋を架けしむ、久米の石橋はこれなり。
此方の二上山の在所を久米郡といい山上に天石橋ありて山神の造りし所と為す。