月山神社 秋田県鹿角市十和田毛馬内 旧・県社
現在の祭神 月読命
[合祀] 誉田別命(応神天皇)・金山彦命・大日孁貴命・菅原道真・倉稲魂命・伊邪那美命
本地 虚空蔵菩薩 阿弥陀如来

「鹿角市史」第二巻下

第八章 信仰と文化

月山神社

 月山神社は大同二年(807)に坂上田村麻呂によって勧請されたと伝えられる。 大日堂と共に鹿角の総鎮守として崇敬され、荒沢月山大権現(以下月山社とする)とも呼ばれてきた。 近世には、別当として真言宗の廣増寺が管理するところであった。
[中略]
 廣増寺と共に月山社の祭祀に関与してきた羽黒派山伏の不動院は、子孫の和田祐光家(能代市)所蔵の木像不動明王が室町期と推定されていることからも、由緒の古さが知られる。 そして羽黒派の場合は近世に入り天台宗に統一されることから、月山社では真言宗と天台宗が共存してことになる。
 不動院と月山社との関わりについて、『不動院袖扣』に記されているところでは 「此宮は先祖大坊より別当支配共仕り来り候、元和年中、上方より天台宗の出家真経坊と申者、罷り下り候節、先祖常楽院師仕り候に付、領主権之助殿江申立別当仕り候」 とあって、不動院の先祖として大坊、常楽院の名が記されている。 大坊は大坊一位ともいわれ近世以前の人とみられる。 常楽院は、月山社境内の石碑に記されている年代からして、寛永年間(1624~44)の人と推定される。 石碑は二基あるが、どちらにも「寛永十七庚辰年六月十三日」「常楽院」と記されている。
[中略]
 不動院の月山社における役割については、月山社の概略を記した『不動院袖扣』に次のように記されている。
一、毛馬内通惣鎮守荒沢月山大権現、本地虚空蔵菩薩、拝殿不動地蔵三尊、奥院阿弥陀如来、 御縁日ハ十三日、御祭日ハ四月六月九月三度御祭礼相勤来候、 (中略) 御祭礼ニハ別当廣増寺并先達不動院於神前天下泰平、国家安全、太守様御武運長久、万眠快楽の御祈祷勤行仕り候。 尤御法楽六月十三日は、前立権現舞不動院修行仕り来り候。
 右の文では、廣増寺を別当、不動院を先達として区別している。 また、権現舞や、神楽、御湯立なども山伏である不動院の役であった。 なお『神社由緒書上帳・不動院』には、本地弥陀、拝殿に虚空蔵、不動、地蔵三体とある。

常照寺(毛馬内)

 真宗東派、心光山常照寺は元禄十四年(1701)の創立、盛岡本誓寺末で、開山は意頓とされる(明治初年『寺院明細帳』)。
[中略]
 境内の堂に、明治初年に移された月山社本地仏虚空蔵菩薩像(市指定文化財)が安置されている。 この尊像は木瓜厨子に納められ、嘉永三年(1850)盛岡山永福寺より月山大権現本尊として奉納されたものである。