八幡神社 和歌山県伊都郡かつらぎ町下天野 旧・村社
現在の祭神 誉田別命(応神天皇)
[配祀] 須佐之男命・八王子神・罔象女命・市杵島姫命・丹生都比売命
本地
八幡阿弥陀如来
天照大神聖観音
春日地蔵菩薩

「紀伊続風土記」巻之四十八(伊都郡第七)

天野荘 下天野村

○八幡宮 境内周百間森山(七十間七十五間)
 本社(一丈一尺一丈五寸) 玉垣(六間七間) 庁(十間二間)
  舞台 鳥居 本地堂(本尊阿弥陀如来) 釣鐘堂
   別当 八幡寺 堂(方七間)
村中にあり 一荘の産土神にて社壮麗なり 按するに天野社は大社にして一荘の氏神となすへからざるにより当神社を荘の氏神とするならむ 村老伝へていふ 当社は弘法大師の産土神讃岐ノ国琴引八幡宮を勧請する故に高野山よりも格別に当社を崇敬す 往古は天野の相見支配なりしに荘中と争論ありて今は八幡寺の支配とすといふ 森山の上に妙見の小祠あり

高野山之部 巻之二十(天野社之上)

八幡宮(本社より西南の方七八町をさり下尺野にあり 上下一荘の氏神なり)
此社祭創詳ならす 按する上代の鎮座なるへし 明神の御領は二柱尊御附属の後更に八幡太神の寄たまふ地なれがその来由あるによて崇祀れるか 一説には大師の産神たる讃岐国琴引八幡を勧請したまふと云 (按に三谷坂岩腹に大師の彫識給ひし古仏俗に伝へて頬切地蔵と呼 実は金胎大日及弥陀の像なり 是は丹生高野并に八幡の本地仏にして霊験新なり 是を以て推測るに此郷に大師自ら勧請し給ふと思はる) 祭礼は八月十五日九月二十四日氏子競馬式あり
本社(一丈八尺四方 中央八幡左天照太神右春日の社合祀 戊亥方に向 瑞籬華表あり ○神宝に国吉刀正家及等あり 鰐口は慶長十八年の銘なり)
拝殿(二間梁行十間)
舞台(二間四方)
本地堂(三間四方 室の堂といふ 本尊阿弥陀の座像長二尺八寸八歩 左に正観音長五尺四寸の座像 右に地蔵尊三尺一寸立像なり 按に弥陀を八幡の本地とすること諸説明なり特に続古事談にも載す 観音を太神宮の本地といふは江談抄に太神宮救世観音御変身とあり 春日の本仏を地蔵とするてとそ榊葉日記にいてたり)
鐘楼堂(寛永九年十一月亀田大隅守の寄附といふ)
別当八幡寺(同社の傍にあり 持仏堂の本尊は地蔵菩薩三尺立像を安す 外に正観音の立像一尺三寸 持国天多聞天の立像三尺二寸なり 又弘法大師を安排せり)
神仏分離後、阿弥陀如来坐像などは延命寺に移管