社説に曰く、古老口碑に当社は往古より八幡宮と称して、悪七兵衛景清、日向国に配流せられし時此地に着船し、眼病に罹り当社に祈願せしに其功ありき、景清自ら十一面観音を彫刻し当地に船頭寺を建立し当八幡宮の本地とす、後船頭寺廃寺せしかば其本地仏のみ今に存す。 当社は俗に生目八幡と称す。