「埼玉の神社 大里・北葛飾・比企」
八幡神社
幸手市戸島229(戸島字本村上)
歴史
当社は『風土記稿』に「八幡社 観音寺持」と一社のみが載るが、古くは八幡・香取の合殿であったと伝えている。
この伝えは、当社の本殿が入母屋造り妻入りの二間社で、向かって右側には騎乗の八幡大明神像、左側には香取神社の祭神である経津主命の本地仏とされている十一面観音像が安置されていることからも十分にうなずける。
ちなみに大正期の幟には「八幡神社・香取神社」と書かれ、更に昭和三十三年に行なわれた社殿修復工事の報告書にも「八幡香取神社社殿」と知るされている。
江戸時代に当社を管理していた観音寺は、当社の境内の東側に隣接していたが、神仏分離後は廃寺となり、その後は本堂だけが寮として残され、本尊の十一面観音が祀られていた。
しかし、その寮も安戸集会所の建設に伴い、昭和四十四年に取り壊されてしまい、景観は一変した。
なお、観音像は集会所に設けられた壇上に移され、今も安産に仏像として氏子の信仰を集めている。
信仰
当社は、氏子からは鎮守として崇敬を受ける一方、安産の神としても信仰されている。
安産の信仰は、妊婦がおさご(御饌米)と賽銭を神に捧げて無事に出産できるように願を掛け、願が叶うと願主の氏名と出産日とを書いた紅白の晒を当社の拝殿及び境内の御嶽神社に掛かっている鈴に結びつけて感謝の気持ちを表すもので、本地仏の十一面観音にかかわりが深い。