箱根神社 神奈川県足柄下郡箱根町元箱根 旧・国幣小社
現在の祭神
箱根神社箱根大神(瓊瓊杵尊・彦火火出見尊・木花咲哉姫尊)
摂社・高根神社天児屋根命・天太玉命・天宇受売命
[配祀] 大山祇命・乙橘姫命・誉田別命・稲倉魂大神・菅原道真朝臣命
摂社・駒形神社高皇産霊尊・神皇産霊尊
[配祀] 櫛御毛奴命・鸕鷀草葺不合尊・豊玉比売命・天照大神
本地
箱根三所権現法躰文殊菩薩
俗躰弥勒菩薩普賢菩薩
女躰観世音菩薩
摂社能善権現普賢菩薩
駒形権現馬頭観音金剛界大日如来

「神道集」巻第二

二所権現事

そもそも二所権現と申すは、天竺は斯羅奈国の大臣源の中将尹統の御姫君達なり。
[中略]
日本秋津嶋六十余州のその内に、相模国大礒に付きたまひて、上の高礼寺に一夜留りたまふ。 これより入道殿と太郎王子と常在御前との三人は、上山の駒形嶽に付きたまひて、箱根三所権現と顕れたまふ。 次郎王子と霊鷲御前とは、下山、扠山より南、安美の峯より東、西沢手向と云ふ所に社を伊豆権現と顕れたまへり。
[中略]
かの中将入道殿と太郎王子と常在御前とは、上山に付きたまひしかとも、未だ機縁の行者無りしかは、多の年月を経て、相模国の大早河の源、上の湖池の水辺にして、万巻上人の難行苦行の功に依りて、三所権現とは顕れ給へり。
三人異形にして、万巻上人に名乗て言く、我等三人は即ちこの山の主なりと。
上人に向て三人同音に唱て言ふ。 池水清浄浮日月、如意精進来天衆、三人同倶住此所、結縁有情生菩提。
また我等三人異体なる事は、即ち法体・俗体・女体の三形これなり。
これに依り御本地を申すは、法体は文殊なり。 忝くも三世覚母にて在す。 因位の昔は、斯羅那国源の中将尹統入道殿これなり。
俗体は弥勒菩薩なり。 これまた賢劫第五の如来、当来三会の主なり。 因位の昔は、波羅那国太郎王子これなり。
女体は観音なり。 これまた三十三身の春花、匂はぬ里はあらじかし。 十九説法の秋月、照らさぬ家はあらじかし。 因位の昔は、斯羅那国源中将の御姫、常在御前これなり。
能善権現守護の山神、八大金剛童子これなり。 本地は普賢菩薩なり。 これまた諸仏の長子として、六根懺悔の教主、六牙の象に乗して、六根の罪を亡したまふ。
吉祥駒形は太郎の王子の兵士なり。 本地の馬頭観音は、抜済心に深くして、善悪の衆生をも捨てたまはず。
時に人王四十六代、孝謙天王の御宇、天平宝字元年丁酉二月中旬の比より、当山に御社を立て、万民を利益する事遥かに久し。

「真名本 曾我物語」巻第四

南無帰命頂礼、筥根三所権現と申すは相模の国大早河の源上、湖の傍において万巻上人の難行苦行の功に由りつつ、三人異躰の形にて上人に託して云はく、我ら三人は即ち、この山の主なり。 即ち筥根三所権現と号して三人異躰なる事は即ち法躰・俗躰・女躰、三形これなり。 精進の天衆三人来たりて、同じく倶にこの山に住す。 有情結縁して菩提をなす。
[中略]
法躰は忝くも大聖文殊師利菩薩これなり。 この仏はこれまた妙吉祥と名づけ、また金剛利と号す。
[中略]
俗躰と申すはまた弥勒菩薩なり。 この仏は賢劫第五の如来、当来三会の教主なり。
[中略]
女体と申すはまた観世音菩薩これなり。 大慈大悲の利生をば濁世の我らに及ぼし、十九説法の慈愍は澆季の愚昧に順ひ給ふ。
能善八大金剛童子と申すはまた普賢菩薩これなり。 この仏は等覚無垢の大士、余有一生の尊師なり。
[中略]
吉祥駒形と申すは、また本地は金剛界の大日なり。 または馬頭観音とも申す。 この仏は一面三目にして六臂なり。頂上には白馬あり、忿怒の形なり。
[中略]
そもそも、この御山の建隆の由来を尋ぬれば、日本の人王四十六代孝謙天王の御宇、天平元年(己酉)年三月中旬のころの御草創なり。 その後は利益遍く諸国に帰伏して天下に満てり。

中世文学輪読会「訓読『平家打聞』(三)」

平家打聞 巻第五

 二所は、伊豆筥根、是の二所なり。 三所権現と云ふ時は三嶋入りたり。 先づ箱根三所権現は、万巻上人、亦京仕大徳と号す。 難行苦行に依つて顕れ始むるなり。 三人異躰にして万巻と(ママ)名乗りたまふ。 「我等が三人此の山の王なり。即ち筥根三所権現と号す。」と。 三人異躰なれば、法躰、俗躰、女(躰)、三口同音に唱へて言はく、 「池水清浄にして日月を浮かべ、意のごとし。精進の天衆三身来たりて、同じく共に此の山に住す。有情に結縁して利益を同じくす。」と[已上]。 御本地を申せば、法躰は文殊。 俗躰は普賢。 吉祥小馬形は金剛界の大日、又は馬頭観音とも申す。 時に人王四十六代孝謙天皇の御宇元年(己酉)三月中旬。 今正仲二年元亨四年(甲子)に至るまで帝王五十代、年序五百三十一年なり。

「諸神本懐集」

大箱根は三所権現なり。 法躰は三世覚母の文殊師利、俗躰は当来導師の弥勒慈尊、女躰は施無畏者観音薩埵なり。

「仏像図彙」

伊豆箱根権現
本社彦火火出見尊也
有駒願権現白和龍王右鵲左鵲王及客人宮
[図]

「新編相模国風土記稿」巻之二十八
(村里部 足柄下郡巻之七)

元箱根 上

箱根三所権現社 上

祭神三座、瓊瓊杵尊・彦火火出見尊・木花開耶姫尊なり、 (各木坐像にて、万巻上人の作と云、秘して別当と雖も拝する事なし) 天平宝字元年、万巻上人霊夢の告ありて、勧請する所なり、 (縁起曰、万巻上人天平宝字丁酉、投錫宇禄山、練行修史、一夕有霊夢、三輩各告之、我等斯山旧主、権実応化之垂跡也、汝留令修練云々、三容各異其貌、有比丘形、左執如意宝珠、右掬独鈷也、我是為三世諸仏、助出世化儀、以汝心清浄吾今現形矣、又有宰官形、手持白払云、当来導師也、汝因慇懃吾現此矣、又有婦女形云、我是聞思修大士也、汝以有上求下化悲願、故我今来此矣、三容異口同音唱云、池清水浄浮月影、汝意清潔来三躰、三身同共住此山、結縁有情同利益、万巻夢醒矣、日数不幾、彼霊瑞達天聴、即為勅願造梵宮、飾霊場鋪以金玉、而奉崇三容於一社、霊廟各号筥根三所権現)
[中略]
本地仏釈迦、(木立像、長六尺二寸)弥陀(同上、長三寸五尺)の二像を置、 弥陀の像には、文殊、(行基作)弥勒(玄昉作)観音(吉備大臣の安置する所と云)の三躰を腹籠とす、
[中略]
△本社(桁行四間二尺余、梁間三間二尺余、但六尺五寸を以て間とす、此下間と云も皆同)
△幣殿(桁行三間二尺余、梁間三間一尺)
△拝殿(桁行六間一尺余、梁間三間二尺余) 安元二年行実造立せし事、縁起に見ゆ、 箱根大権現の額を掲ぐ、近年修造の時、新に作る所なり、藤原朝臣基敦の筆、 又銅燈籠二対を置、 寛文十三年九月の鰐口をかく、
△石瑞籬(社の四方にあり、合八十間)古は廻廊あり、寿永二年頼朝卿造立ありし事、縁起に見ゆ、
△唐門(両楹間八尺)関東惣鎮守の額を掲ぐ、是も基敦朝臣の筆なり、元暦の頃頼朝卿中門を造立せしと、縁起に見えしは、此門の事なるか、
△本地堂(桁行二間五尺、梁間二間一尺)一名相殿堂と云、 本地仏は今本社に置、此堂には、観音(銅像)及弘法大師(木像)万巻上人の像(同上)を安ず、 慶長四年八月、宇賀兵庫奉納の鰐口をかく、
△鐘楼(方一丈一尺余、仮に造る所なり)永仁四年五月の古鐘(径三尺四寸、高六尺、厚さ四寸五六分)をかく、
[中略]
△末社 △本宮 △離宮 大平皇子を合祀す、△白鳥 △灰島 △右鵲王 △左鵲王 △八幡 △天神 △稲荷 △神明 春日を合祀す、
△駒形能善高根権現合殿 駒形は大磯高麗権現を勧請す、能善は熊野権現、高根は高彦根命を祀る、又聖占仙人(縁起曰、孝昭天皇盖代之始、聖占仙漸排駒形権扉、而為神仙宮、按ずるに、此に謂る駒形は、駒ヶ岳にある社なりと云)、利行丈人(縁起曰、崇神天皇宝祚之砌、利行丈人奏当山之聖域、即以天旨創建堂一宇矣)、玄利老人(縁起曰、皇極天皇時、玄利老人管当山、而改般若寺、号東福寺)の三祖像を置、長寛二年五月、別当行実当社を再興す、(縁起曰、坐主行実長寛二年五月十六日、能善駒形神殿、同再興)
△勝名荒神 曾我五郎時致の霊社なり、正保四年稲葉美濃守正則建、祭祀五月二十八日、此社の宝物に、こうひら丸と号する刀一振あり、
△第六天 △山王 △一之護法神
△駒形権現(以下社外の末社なり)駒ヶ嶽にあり、石祠、当山の地主神なり、祭神国狭槌尊本地仏大日を置、聖占仙人の勧請する所なり、嵯峨天皇の頃、神威を現す、寿永中頼朝卿此神を豆州奈古谷に勧請す、元暦二年、頼朝当社の拝殿を再興す、社後に馬降石と唱ふる石あり、大さ方九尺、石上に、小さき穴あり、各一升程の水あり、名けて金剛水といふ、如何なる旱魃にも枯ることなし、又傍に馬乗石と云石あり、長一丈、横二間許、此石上に往古白馬出現ありしと伝ふ、是皆当山七名石の中なり
△八町駒形権現 八町坂の傍にあり、元禄四年勧請す、
△山神 二
△吾妻権現 賽ノ河原の東山上にあり、祭神日本武尊、本地仏弥陀(銅立像)を置、
△弁財天(方三尺五寸)堂ヶ島にあり、像は弘法大師の作、長五寸五分
△蓑笠明神 箱根宿三島町にあり、
△荒湯駒形権現 同宿蘆川町にあり、往古箱根宿の地、箱根派修験比丘尼等、凡六百軒住居せし頃、彼輩遥拝の為、地主駒形権現を勧請せしと伝ふ