白山中居神社 岐阜県郡上市白鳥町石徹白 旧・県社
現在の祭神 伊邪那岐大神・伊邪那美大神
[合祀] 菊理姫大神
本地 虚空蔵菩薩

「日本の神々 9 美濃・飛騨・信濃」

白山中居神社(佐野正隆)

 当社は上在所の突き当たり、宮川の清流を渡った所に鎮座する。 樹齢数百歳の杉の老木が140本余も林立して社殿を囲み、いかにも神域という感が深い。 祭神は伊弉諾命・伊弉冊命で、『越前国神名帳』には「正一位白山大明神」とある。
 社記によれば、景行天皇十二年、熊襲・蝦夷が朝廷に背いたとき、天皇を守護するために伊邪那岐・伊邪那美の二神が石徹白と打波との境の橋立山に天降り、東南の方、長滝川と短滝川の間に清々しい森を見つけてその地を「船岡山中居」と名づけ、社殿を建てた。 このとき、二神が船岡山の坂路に千引岩を引いて許等度渡しの呪言をとなえたところ船岡山一帯に白雲がたなびいたので、千引岩・許等度・白雲から一字づつをとって「石度白」と名づけたという。 また別伝によれば、山中に古喜美という者がいて名を武比古と称したが、景行天皇十二年、神託によって舟岡中居の地に宮殿を造り、諾冊二神を奉斎した。 その後。養老元年(717)泰澄が当社に参詣し、付近の霊地で行をしたあと、大熊に導かれて白山の山頂をきわめた。 このとき泰澄が「わが宿願貫徹せり」と言ったので、「石度白」を「石徹白」と書くようになったともいう。 泰澄はそのまま白山にとどまって行をつみ、養老四年(720)勅掟によって、白山二十一社を建立したと伝えられる。
 当社は白山山頂の本社といわゆる「美濃馬場」中宮長滝寺(白山長滝神社)との中間、すなわち「中居」にあり、表日本からの登拝者は長滝寺から檜峠を越えて当社に参拝し、九里八丁といわれる嶮しい山路を山頂目指して登った。 その経路は、美女下→熊清水→銚子ヶ崎→一ノ峰→二ノ峰→三ノ峰→別山を経て白山の主峰「御前峰」に至るものである。
 修験の霊場の常として、当社は明治維新までは神仏習合の形態をとり、本地仏として虚空蔵菩薩を祀っていた。 この銅造虚空蔵菩薩坐像は平安末期の作とみられ、国の重要文化財に指定されている。 社伝によれば、奥州の藤原秀衡がその秀康を遣して白山山頂の三社と六道社に御神体、当社に観音像(後世に虚空蔵菩薩と聖観音を混同したのであろう)を寄進、秀康に随行した上村彦三郎・上村助三郎以下十二名は永く石徹白にとどまって当社に奉仕し、旧来の社人に対して「上村十二社人」と呼ばれたという。 「上村家系図」にも、秀衡が阿弥陀如来像を白山の奥の院すなわち大汝峰に奉献したとあり、陸中(岩手県)平泉の中尊寺と毛越寺には鎮守の一つとして白山神が祀られている。 しかも、前記の虚空蔵菩薩像は中尊寺の一字金輪仏と兄弟仏であることが確認されており、秀衡が虚空蔵菩薩を寄進したとの伝承が史実であることは動かしがたいものであると考えられている。