白山神社 福井県勝山市平泉寺町平泉寺 旧・県社
現在の祭神
本社伊弉冊尊
越南知社大己貴尊
別山社天忍穂耳尊
摂社・三ノ宮栲幡千千比売命
本地
本社十一面観音
越南知阿弥陀如来
別山宮聖観音
金剣宮不動明王
加宝王子虚空蔵菩薩
三之宮如意輪観音
中宮権現薬師如来

「越前国名蹟考」巻之九

平泉寺[LINK]

○平泉寺  霊応山玄成院。東叡山末。天台宗  ○勝山城下より二里許東にあり
[中略]
○縁起云夫白山平泉寺は四十四代元正天皇養老元年丁巳神融禅師草創の霊場なり 是より前平泉御手洗に天女現し禅師に語て曰 我は是伊弉冊尊也 今は妙理大菩薩と号す 我天嶺に在りといへとも恒に此林に遊ふ 此林吾中居たり 上一人を守りて下万民を撫す 吾真身は彼天嶺にに在り大徳往て見玉へと 禅師乃ち天嶺に登りて三聖の応跡を拝す 養老六年壬戌秋元正天皇御悩あり医巫験なし 勅諚にて禅師を内裏に召され加持し玉ふに立所に御平癒有て 絶頂には三所の社を御建立麓には中宮並に当所の僧房を御造営あり 是より平泉寺と号す 即禅師一刀七礼して七社の尊容を刻み天下安全の御祈祷怠る事なし 其後聖武天皇の御宇に天下疱瘡盛にして人民死す事数を知らす 又禅師に勅して是を攘しめ玉ふに不日にして疱瘡止み安全となれり 帝叡威ありて八尺の御剣を御布施に与へ玉ふ則社内に是を納む
[中略]
○白山平泉寺七社  本社、伊弉冊尊本地十一面観音、比咩神とも川上御前とも称す。 北 越南知、大己貴命本地阿弥陀。 南 金剣宮、天瓊々杵尊本地不動明王。 北 加宝王子、彦火々出見尊本地虚空蔵。 南 別山宮、天忍穂耳尊本地聖観音。 奥之院 三之宮、高産霊神本地如意輪観音。 中宮権現、国常立尊本地薬師

「近江・若狭・越前 寺院神社大事典」

平泉寺

 三頭山の南西麓にあった寺院で、現在寺跡全域にわたる発掘調査が進められている。 霊応山と号し、天台宗。 越中・加賀・越前・美濃・飛騨の五ヵ国にまたがり、標高2702メートルの御前峰を主峰とする白山の大御前の山神(本地十一面観音)を祀る。
[中略]
【泰澄の草創】  養老元年(717)4月1日「越の大徳」とよばれた泰澄が、当地が白山権現遊幸の地であり、白山の中居(中宮)とするという夢告を受けたことにより開かれたという。 泰澄伝説で最も古いとされ、「元亨釈書」をはじめとする泰澄の諸伝承のもととなったといわれる「泰澄和尚伝記」によれば、養老元年4月1日、36歳の泰澄は、白山の麓、大野の隅、筥川(九頭竜川)の東の伊野原(現勝山市猪野)に宿り、渾身を傾けて思索にふけっていたところ、夢に貴女がしばしば現れ、泰澄に 「この地は泰澄の母のお産によって穢れており、結界の地ではない。この東にある林の泉は私が遊び止まる地であるので、早く来るべきである」 と言い終わるか終らないうちに姿を消してしまった。 泰澄はこのお告げに驚き、すぐにその林の泉に臨み、日夜大声で礼拝念誦したところ、前の貴女が現れ、 「私は天嶺にいる神であるが、つねにこの林の中で遊び、ここを中居としている」と告げたという。
 この「林泉」が現白山神社境内にある御手洗池で、平泉という寺号の起りになったと伝える。