白山神社 福井県勝山市平泉寺町平泉寺 旧・県社
現在の祭神
本社伊弉冊尊
越南知社大己貴尊
別山社天忍穂耳尊
摂社・三ノ宮栲幡千千比売命
本地
本社十一面観音
越南知阿弥陀如来
別山宮聖観音
金剣宮不動明王
加宝王子虚空蔵菩薩
三之宮如意輪観音
中宮権現薬師如来

「泰澄和尚伝」

白山行人泰澄和尚は本は越の大徳と名づく、神融禅師也。 俗姓は三神氏、越前国麻生津三神安角の二男也。 母は伊野氏、夢に白玉の水精を取り懐の中に入ると見て乃ち妊りぬ。 月満ち産生する時、六月雪降り下る厚さ一寸、只産の屋上庭園に、素雪磑々として碧氷凛々たり。 これ乃ち天渟中原瀛真人天武天皇飛鳥浄御原宮の御宇白鳳二十二年壬午歳六月十一日誕生し給へり。
[中略]
和尚越知峯に於いて白山の高嶺雪嶺を見て、常に念じらく彼の雪嶺に攀じ登りて、末世衆生の利益が為に、行きて霊神を顕し奉るべし。 和尚霊亀二年に至り夢に天衣瓔珞を以て身を餝れる貴女を見る。 虚空紫雲の中より透くみ出でて告て曰く、我が霊感時至れり早く来るべし。
而して日本根子高瑞浄足姫元正天皇(三十四代)御在位養老元年丁巳歳、和尚年三十六歳也。 彼の年四月一日和尚白山麓大野隈笞川東伊野原に宿し乃ち観念を凝らし咒功を運び、天に呼び地を扣き、骨を摧き肝を屠る。 爰に先日夢見給ひし貴女屡現じて和尚に命じて言わく、此の地は大徳の悲母が産穢して結界に非ず、此の東の林泉は吾が遊止地也、早く来るべし。 言は未だ畢さるに即ち隠れぬ。 和尚此の告げに驚いて、乃ち彼の林泉に臨みて日夜大音声を放ち礼拝念誦す、吾が心の月輪阿字空門の八葉白蓮の素光の中に速かに霊質を垂れ給へと。 爰に祈念に応へて前の貴女現じて告げて曰く、我れ天嶺に有りと雖も、恒に此の林中に遊ぶ、此処を以て中居とす。 [中略] 吾が身は乃ち伊弉諾[冊]尊是れ也、今妙理大菩薩と号す。 此の神岳白嶺乃ち吾が神務国政時の都也。 [中略] 抑吾が本地真身は天嶺に在り、往きて礼すべし。 此の言葉未だ訖らざるに神女忽に隠れ給ひぬ。 和尚今霊感奇異を顕して、弥々仏徳掲焉ことを仰ぐ。
乃ち白山天嶺禅定に攀登し、緑碧池の側に居り、礼念加持一心不乱にして猛烈強盛なり、三密の印観を凝らし、五相心身を調う、咒満口に遍し念力骨を徹す。 爾時池の中より九頭龍王形を示す。 和尚重て責めて曰く、此れは是れ方便の示現なり、本地の真身に非ず。 乃ち又十一面自在尊の慈悲の玉躰忽ちに現ず。 妙相眼を遮り光明身を耀かす。 爰に和尚悲喜胸に満ち感涙面を洗う、稽首帰命して仏足を頂礼す。 乃ち曰て言わく、像末の衆生必ず利益へ抜済すと。 爾時観世音金冠を揺かし慈眼を瞬き、乃ち領納す。 未だ再拝に及ばざるに妙躰早く隠れぬ。 貴なる哉、歓喜の涙幾か。
乃ち亦た和尚左の岳澗に徑って孤峰に向かいて、一の宰官人に値う、手に金の箭を握り、肩に銀弓を係けたり。 咲を含み語りて言く、我れは是れ妙理大菩薩の神務輔佐の行事貫主なり、名は小白山別山大行事と曰う。 大徳当に聖観音現身と知る、言中乃ち隠る。
和尚右の孤峰に攀る、一の奇眼老翁に値う、神彩甚だ閑なり。 乃ち語りて曰く、我れは是れ妙理大菩薩の神勢静謐敬沃輔弼なり、名を太己貴と曰う。 蓋し西刹主也。 乃ち言と共に失ひぬ。

「越前国名蹟考」巻之九

平泉寺[LINK]

○平泉寺  霊応山玄成院。東叡山末。天台宗  ○勝山城下より二里許東にあり
[中略]
○縁起云夫白山平泉寺は四十四代元正天皇養老元年丁巳神融禅師草創の霊場なり 是より前平泉御手洗に天女現し禅師に語て曰 我は是伊弉冊尊也 今は妙理大菩薩と号す 我天嶺に在りといへとも恒に此林に遊ふ 此林吾中居たり 上一人を守りて下万民を撫す 吾真身は彼天嶺にに在り大徳往て見玉へと 禅師乃ち天嶺に登りて三聖の応跡を拝す 養老六年壬戌秋元正天皇御悩あり医巫験なし 勅諚にて禅師を内裏に召され加持し玉ふに立所に御平癒有て 絶頂には三所の社を御建立麓には中宮並に当所の僧房を御造営あり 是より平泉寺と号す 即禅師一刀七礼して七社の尊容を刻み天下安全の御祈祷怠る事なし 其後聖武天皇の御宇に天下疱瘡盛にして人民死す事数を知らす 又禅師に勅して是を攘しめ玉ふに不日にして疱瘡止み安全となれり 帝叡威ありて八尺の御剣を御布施に与へ玉ふ則社内に是を納む
[中略]
○白山平泉寺七社  本社、伊弉冊尊本地十一面観音、比咩神とも川上御前とも称す。 北 越南知、大己貴命本地阿弥陀。 南 金剣宮、天瓊々杵尊本地不動明王。 北 加宝王子、彦火々出見尊本地虚空蔵。 南 別山宮、天忍穂耳尊本地聖観音。 奥之院 三之宮、高産霊神本地如意輪観音。 中宮権現、国常立尊本地薬師

「近江・若狭・越前 寺院神社大事典」

平泉寺

 三頭山の南西麓にあった寺院で、現在寺跡全域にわたる発掘調査が進められている。 霊応山と号し、天台宗。 越中・加賀・越前・美濃・飛騨の五ヵ国にまたがり、標高2702メートルの御前峰を主峰とする白山の大御前の山神(本地十一面観音)を祀る。
[中略]
【泰澄の草創】  養老元年(717)4月1日「越の大徳」とよばれた泰澄が、当地が白山権現遊幸の地であり、白山の中居(中宮)とするという夢告を受けたことにより開かれたという。 泰澄伝説で最も古いとされ、「元亨釈書」をはじめとする泰澄の諸伝承のもととなったといわれる「泰澄和尚伝記」によれば、養老元年4月1日、36歳の泰澄は、白山の麓、大野の隅、筥川(九頭竜川)の東の伊野原(現勝山市猪野)に宿り、渾身を傾けて思索にふけっていたところ、夢に貴女がしばしば現れ、泰澄に 「この地は泰澄の母のお産によって穢れており、結界の地ではない。この東にある林の泉は私が遊び止まる地であるので、早く来るべきである」 と言い終わるか終らないうちに姿を消してしまった。 泰澄はこのお告げに驚き、すぐにその林の泉に臨み、日夜大声で礼拝念誦したところ、前の貴女が現れ、 「私は天嶺にいる神であるが、つねにこの林の中で遊び、ここを中居としている」と告げたという。
 この「林泉」が現白山神社境内にある御手洗池で、平泉という寺号の起りになったと伝える。