白山神社 岐阜県郡上市白鳥町長滝 旧・県社
現在の祭神 伊弉諾尊・伊弉冉尊・彦火火出見尊・菊理姫尊・天忍穂耳尊・大己貴尊
本地 十一面観音・聖観音・阿弥陀如来

「加賀白山伝記之事」

白山本地中宮長滝寺伝記

于時元正天皇の御宇養老元年、泰澄大師白山天嶺に登り、御本地垂跡の聖容を直に拝し奉り、始て山上に三社麓に四社、七社の神殿を建、越賀濃州の麓より三ヶの道を開き玉ふなり。 長滝寺中宮は彦火々出見尊、其一社なり。 南の麓より登る白山美濃の馬場長滝寺なり。 養老六年(壬戌)秋天皇御悩あり。 医術験なく大師を内裏へ召れ加持奉り玉ふに、立所に御平愈ありて、其翌年白山三社の御本地十一面観音聖観音阿弥陀如来三尊、天皇御手自一刀三礼になし玉ひ長滝寺へ納め玉ふ。 夫より山号寺号の間へ本地の二字を入、白山本地中宮と申なり。

「日本の神々 9 美濃・飛騨・信濃」

白山長滝神社(佐野正隆)

 白山の開創は越の大徳泰澄によってなされたと伝えられる。 奥美濃の伝承によれば、泰澄は大洞(高鷲村鮎立)の助右衛門の案内で大日岳の頂上に到達したが、その夜の夢に大日如来が現われ、ここに大日如来を祀った。 さらに尾根づたいに白山へ登ろうとしたが果たせず、蛭ヶ野に降りて南に下り、前谷より御船西願坊の案内で檜峠を越えて石徹白に到り、現在の白山中居神社を基点として釜石から濃尾国境の峰をつたって白山へ登ったという。
 一方、社伝によると、泰澄は白山登拝の道を開き、山頂に白山妙理大権現を祀ったあと美濃側に下り、長滝に社宇を造営して彦火々出見尊を祀った。 これが当社(白山中宮)の草創であるという。 また同じく社伝によれば、ついで養老六年(722)元正天皇の病のおり泰澄が勅命によって参内し、祈祷をしたところ、天皇は平癒した。 泰澄はその帰峯の徒次、中宮に参詣、社殿を改めて三社とし、伊弉冊尊・伊弉諾尊・彦火々出見尊の三神を祀った。 そして翌年、元正天皇が本地仏十一面観音・聖観音・阿弥陀如来の三像を奉納、これより当社寺は本地の二字を加えて「白山本地中宮長滝寺」と号したという。