白山神社 新潟県新潟市中央区一番堀通町 旧・県社
現在の祭神 菊理媛大神・伊弉諾大神・伊弉冊大神
[配祀] 天照皇大神・八幡大神
[合祀] 稲荷大神・天満天神・出雲大神・住吉大神・香取大神・鹿嶋大神・三嶺大神・金刀比羅大神・春日大神・松尾大神・淡嶋大神
本地 十一面観音

「日本の神々 神社と聖地 8 北陸」

白山神社(宮栄二)

 当社は往古、加賀の白山権現をこの地に勧請したものと伝えるが、永禄・天正の再度の火災のために旧記を失い、草創の年月と室町時代末に至るまでの沿革を詳らかにしない。 社地はもと古新潟にあり、のちに寄居白山外新田(現在地)へ移転したという。
 元亀年中(1570〜73)、白山神社別当宝亀院住職憲海が上杉輝虎(謙信)の命により、高五寸の銅造十一面千手観音像(本地仏)および宝剣を白山神社に奉納したと伝え(『新潟寺社古来記』『白山大権現幹縁』)、また『北越太平記』の上杉景時の白山城攻めの条に「白山妙理大権現」「白山島」等の名称が見え、戦国時代にはすでに隠然とした存在であったことが推測される。 さらに元和四年(1618)牧野忠成が長岡城主となって以後、歴代藩主の崇敬すごぶる篤く、社殿の造営、社領・神饌・宝物等の寄進、社参が相次いだ。 とくに忠成は社領として黒印地三十石(平島村)を寄進し、承応三年(1654)不動・愛染の二尊を安置している。

高岡功「越後における白山信仰の浸透」

 新潟市一番堀通の白山神社は、明治の神仏分離令まで椿沢山宝亀院(真言智山派)が別当をしていたが、分離後、仏像などは別当寺が引き取った。 今の同寺本堂をみると、本堂内陣の中央に寺の本尊不動明王があり、その左の一室に元白山社の仏像が祀られている。 その正面中央に十一面観音、右に不動明王、左に愛染明王がそれぞれ祀られている。 毎年きまった祭りはなく、何十年かのご開帳が行なわれるのみとなった。