白山神社 新潟県糸魚川市能生 式内論社(越後国頸城郡 奴奈川神社)
旧・郷社
現在の祭神 奴奈川姫命・伊邪那岐命・大己貴命
本地
白山大宮十一面観音
御剣社不動明王
小白山社聖観音

「日本の神々 8 北陸」

能生白山神社(青木重孝)

 当社は寛保年間(1741-44)の火災によって記録を失ったため、創祀については詳らかではない。 伝えによれば、奈良時代の初期、越前の泰澄大師が当社を修験道伝道の道場にして白山権現と社号を改めたという。
[中略]
 また、長寛元年(1163)の加賀白山比咩神社の文書『白山之記』に白山九所小神の第八番目として「越後ノウ白山」とあるように、このころにはすでに白山信仰の拠点の一つとなっていた。 社宝の桜材一木造の旧本地仏聖観音立像(重要文化財、実は十一面観音)はそのころの作とされているが、当時の社殿は権現山の山頂にあったようで、そこにはいまも四尺五寸間隔の川原石の礎石が九個残っており、間口三間・奥行三間の建物であったことがわかる。
[中略]
 しかし社殿はいつしか麓に遷り、大平寺を別当とした。 長享二年(1488)十一月この寺に来て翌年四月末まで滞留した京都相国寺の僧万里集九はその著『梅花無尽蔵』に「大平寺の鎮守、白山権現」云々と記している。 その数年後の明応六年(1492)社寺は全焼したが、ほどなく復興し、文亀三年(1503)に御剣社、永正十二年(1515)に現本殿である白山大宮本殿(重要文化財)を造営、慶長十八年(1613)小白山社を立て替え、寛永八年(1631)には御剣(大己貴命、本地不動尊)・大宮(伊邪那岐命、本地十一面観音)・小白山(菊理媛命、本地聖観音)を合祀して「白山三社権現」と称した。

高岡功「越後における白山信仰の浸透」

 今の能生白山神社の収蔵庫(元は土蔵)をみると、神像はほとんどなくて仏像ばかりが目につく。 中でも十一面観音・波切不動明王・泰澄大師像が大きい。 拝殿の姿は一見して寺院を連想させる造り方で、かつてこの神社は能生山大平寺が別当をしていたことからみて、神仏習合の白山修験道教団の上陸支配の拠点の名残りといってもいいであろう。 諸文献も能州不動山よりの勧請や能登気多神社の妻神と伝えている。 この神社の祭神は、伊佐奈岐尊・大己貴命・菊理姫命の三座とし、本地仏をそれぞれ不動明王・観音・阿弥陀としている。 この文献とは別に神社入口附近の「権現屋敷」という地名にあった白山三所権現は、その本地垂迹を、
 (祭神名)(本地仏名)
御剣権現大己貴尊不動明王
大宮権現伊弉諾尊十一面観音
小白山権現 菊理媛尊聖観音
と伝承されている。 そのいずれかが真かは別として、時代によってこうした神仏の入れ替りはつきものであった。 しかも、『白山之記』にみられるのとは異なったのは、小神としての気儘さがあったのかもしれない。
 前述の収蔵庫の十一面観音は頭の化仏を失っている。 久野健氏の鑑定によれば、藤原末期の彫刻の特徴を持ち、頭がやや前方につきだした作り方に多少地方色がでており、あるいはこの近くの作かとも考えられる、と述べている。 このことから、北陸白山又は能州不動山あたりからの招来仏かも知れない。