「三国名勝図会」巻之四十五
仮屋之村にあり。
神祠東に向ふ。
正殿に内社二つ相並へり。
南位を旗山大明神とし、北位を狩長大明神とす。
旗山の内社は稍大なり、
祭神二座、大戸道尊、大戸閉尊、是なり。
或は猿田彦命を祭れりといふ。
狩長の内社は、稍小し。
祭祀正月元日、二月初申日、三月三日、五月五日、九月十九日、十一月初申日。
狩長も同日なり。
此社辺に、竹山の二山あり。
一山は五段許、一山は五段五畝許。
其竹性堅勁にて、本府の御旗竿は、此山より出づ。
故に御旗竿山と号す。
本府兵道家、野村氏伝記を按ずるに、大岳公の時、肥後国志目岐岳より、良竹を此旗山に移し植られ、旗山大明神を御勧請あり。
御代々御旗竿山に定め置玉ふ。
其後松齢公朝鮮の役に、此旗山神社に御誓願ありて、此山竹を御旗竿に用ひ玉ふ。
其時先祖野村美作守良綱へ命し、旗竹を掘取らしめ玉へり。
是より佳例となりて、御旗竿はいつも野村氏に命じ、此山竹を取らしめる。
其是を取るや、種々の法式ありと見えたり。
此野村氏の伝記に據れば、当社の勧請は、大岳公御代なるべし。
社山の中大樟樹多し。
○狩長大明神 前文に見ゆ。
○神木 社前に在り。
二株の大樟木なり。
古来神木と称す。
一株は廻り九尋、一株は十尋。
毎歳二月初申日、十一月初申日を以て祭祀をなす。
前文の御旗竹、此樟木に立掛て、祈禳の法をなすといふ。
[中略]
○本地堂 本社の側にあり。
本尊勝軍地蔵菩薩。