早池峯神社 岩手県遠野市附馬牛町上附馬牛  
現在の祭神 瀬織津姫神
本地 十一面観音

「奥州南部早池峯山縁起」

奥州南部早池峯山縁起序

竊霊法の行義を以て代に倚れり熟しとも熟さず至るとも至らず能く縁の心熟して則ち其の徳行其の心熟さずして至らず則霊法倶に蔵す。 物類の興廃亦復此の如し。 此奥に高山有り形台嶺に似て五岳ガ嶺を争ふ。 其中央に処し最も卓越する者を此れ早池峯と号す。 仍是十一面観音和光垂跡の霊地にして大同年中始閣宮本の開基する所なり其境なり。
[中略]

権現誕生附来内村新宮創草

早池峯山大権現誕生は平城天皇の御宇大同元年丙戌三月八日なり。 当時閉都郡遠野来内村に藤蔵なる者有るなり。 狩猟を以て産業と為す。 毎歳二月下旬に至り早池峯に攀跨し獣を猟す。 其月其日風雪を避けて岩窟に宿す。 五更に迨ぶ頃猟狗吼吠すること頻りなり。 出てて之を見るに光赫々然と耀き恰も日中の如し。 就中其殊勝の所有り尋ね求めて一岩窟に至る。 忽ち金石の仏像頂上より光を放つを見る。 是に於て恍惚として心魂悶絶し四体輾転すること少して醒める如く蘓ヘる如し。 之を拝するに十一面の立像御長さ五寸有余の者なり。 然れども光耀風雪未だ休まず発露懺悔して曰く衆生の迷妄を済ふ為来迎したるか然らば則ち其の誓願を明示しベし。 抑亦余の屠殺の積罪を罰する為に出現したるか。 然らば速かに予の身命を絶て、合眼清心名号を唱ヘ恭敬百拝す。 既に眼を開ければ、則光耀風雪倶に散し青天となる。 相好微笑の粧誠に希代の奇瑞なり。 故に弓を斬り両段と為し二本の柱に準じ箭を渡し屋首に擬す。 乃誓て曰く仲夏に至り必す登山して宝殿を建て御神体を遷し奉んと。 誓願礼拝して下山するなり。
既に来内村の私亭に帰り、信心愈肝に銘じ随喜屢涙を催す尊仰の余一草堂を居宅の後に構ヘ幣帛を安置し以て新山宮と号す。 朝に焼香夕に花を散らし、常に敬礼を以て事となす。 剰三十刈の供田を寄進す。 遂に新山宮に於て法楽を奏し祈湯を設け神徳を賛し謹みて神託を乞ふ。 曰く善哉汝我性霊を発揮して玄機に弘む。 其恩深く四涜に過ぐ、其功高く五岳を越たり。 我亦汝を護念するなり。 影と質の如く時至れるかな至れるかな至れるかな。 我は是救世の大士なり。 衆生済度の為に此山に垂迹して縁を待つこと年久し。 汝の縁にあらざるよりは此幸に遭遇し善哉。 汝楼閣を始め宮祠を始む。 是閣の始め宮の本なり。 永く子孫に伝ヘる者なり。 是故に氏を始閣と号し名を宮本と云ふ。
[中略]

早池峯御嶺宮社開基

大同元年丙戌年五月四日宮本早池峯の絶嶺に登りて同五日宮地をとす。 霊泉有り其の側に七尺有余の神宮を草始して同年六月十八日造営を畢る同日遷宮慶讃す。 爾来毎歳五月四日登山し同五日下山六月十八日祭奠す。 其例今に至るまで怠慢無し。

「御領分社堂」二

早池峰山大権現

一 早池峰山大権現 三間に四間板ふき 別当 妙泉寺
   当社開基は大同二年、閉都郡遠野来内村始閣藤蔵と云者有、以狩為産業、 毎年二月下旬之頃登山、其日避風雪宿也、 山上有殊勝之所尋求至一之岩窟、 忽見金色光、此時奇異之思成拝見之、則十一面観音也、 故日々擲身命参臘、 同年六月宮本氏登山建立す、 夫より中絶、 而委く由緒不相知、 宝永年中御再興被仰付、 正徳元年、享保二年、同十九年御再興被仰付