羽山積神社 宮崎県えびの市大河平 旧・郷社
現在の祭神 伊弉諾尊
本地 阿弥陀如来・薬師如来・観世音菩薩

「三国名勝図会」巻之五十三

狗留孫山権現社[LINK]

大河平村、狗留孫山にあり。 祭神三座、熊野三所権現是なり。 栄西禅師勧請といふ。 本田親盈が【薩隅日神社考】曰、祭神麓山祇命、合殿の余神詳ならず。 今権現祠の神体を見るに、阿弥陀、薬師、観音の三像を安置す。 是本地なり。 又社頭に鰐口を掛く。 其文に曰、奉施入狗留孫仏、熊野三所権現、鰐口大旦那伴貴兼敬白、寛正四年癸未六月十五日、座主尊海、并勧進十方旦那と記す。
当社別当端山寺縁記曰、太古二龍王あり。 健盤龍王、沙竭羅龍王といふ。 健盤龍王、狗留孫仏に請ふて、一本の石率塔婆を此山に建つ。 沙竭羅龍王大に歓喜し、亦観音大士に請て、一本の石率塔婆を建つ。 時に狗留孫仏の建る率塔婆には、大般若経を書す。 是を狗留孫仏の石体とす。 観音大士の建し率塔婆は、法華経を写す。 即今の率塔婆石、観音石是なり。 故に山を狗留孫と号す。 狗留孫仏は過去七仏の一なり。 其後神武天皇石率塔婆の在ることを知て、当山に参詣し玉へり。 神武天皇の御歌に、暫しこそ端山繁山しげけれど、神路の奥に道ある物をと詠るあり。 此歌に因て、当寺を端山寺と号す。 此故に神武を最初の開基とす。 後に千光国師栄西、宋国に至り、医王山に於て、観音大士の指示を蒙り、帰朝の後、此山に来り。 石率塔婆を拝し、山の麓に一祠を建立し、熊野三所権現を勧請し、端山寺を創建す。 此山に詣で、石率塔婆を拝する物は、無始の罪障を消滅し、頓に菩提の果を証す。 是に因て古来六十六州納経の所たりと云々。
当社の祭神、上文の二説同じからず。 今唯本地の三仏像と、寛正年中に掛る鰐口の文とを見る而巳なれば、詳なること知るべからず。 然れども、熊野権現の本地は即弥陀、薬師、観音の三尊なるに、当社其三尊なるを以てみれば、祭神熊野三所権現たるの現証と謂ふべし。 況や別当寺の開山栄西禅師なるをや。 例祭三月酉日、九月二日。 社司出石氏、別当端山寺といふ。
当社は大河平村の人寰を距ること三里許、深山の内にありて、山路険絶なること、一々述べからず。 層岡を踰して、林野を過て、行こと一里許、花表谷に至る。 一花表を立。 是より複嶺畳峯を登陟し、深林幽壑を経歴すること、幾を知らず。 澗水に独木橋を架すること二ヶ所あり。 行こと一里二十町許にして、寺見嶺に至る。 此嶺より北三町許に、大壑を隔て、当社の別当寺を望み見る、故に其名を得たり。 遥に寺人を呼ば、寺より答へ、声相互に相聞ゆ。 毎に寺人此嶺より呼ぶを聞て、客あるを知り、即ち飯羹を設く。 其客至る比おひ飯羹に成るとかや。 此嶺より又壑底に下り、澗水を渡ること許多にして、独木橋を架すること亦二ヶ所あり。 其路紆曲盤折して、後山上に登り、行こと半里許にして、本社に至る。 社前一町許に花表を立つ。 此地衆嶂囲繞し、澗壑廻合し、北の方は肥後州求麻郡に界を分ち、大壑あり。 求麻の群山雲際に相連りて、幾千里を知るべからず。 故に四面の万山嵐翠靄然として、晴天白日と云ども、雲気常に衣を湿す。 一社一寺の外は、猿鳥のみにして、実に塵外の幽境なり。 当社は一大巌の上に建立す。 社殿東に向ふ。 此嶽上頗る平広にして、東西十五間、南北十間、高さ十間許。 嶽上は大にして、下は小し。 是を権現嶽といふ。 社前に谷あり。 橋を架す。 参詣の徒、必ず権現嶽を右旋す。 廻旋すれば祈願を満といふ。 橋南の下より、廻旋の路あり。 右旋して狗留孫仏誕生窟中を過ぎ、橋北の下に出づ。 周旋凡そ一町許なるべし。 是を俗に中御腰廻といふ。
○権現嶽 前文に見ゆ。
○中御腰廻り 前文に見ゆ。
○狗留孫仏誕生窟 本社の東二十間余にあり。 太古此仏誕生せし所といふ。 嶽窟の内、空洞にして、南北に通ず。 洞の空所方八九尺、長さ五六間、洞中は所謂中御腰廻をなす者の通路なり。 窟内石溜ありて、常に点滴す。 其水嶽凹に潴る。 其状石盤の如し。 囲二尺許、深さ四五寸、水味少し鹹し。 潮汐の進退に符して増減を成す。 増時は深さ二三寸、減ずる時は僅に二三分。 亦嶽に塩着て白し。 遠く望ば花の如し。 妊婦安産を祷るに霊験ありとて、或は白塩を採り、或は此水を布片に湿し、竹筒に満へ、拝受して斎し帰り、是を服するに、必ず安産するとかや。
○狗留孫巌 本社の東一町余にあり。 其全体一大石巌にして深壑の底より屹立し、空中に聳え、其高さ幾百仭を知べからず。 其東北東南は、共に絶崖にして、深壑に臨む。 其西の一面のみ、本社へ連壤せり。 前文の権現嶽とは、大体は一なりと云ども、権現嶽は嶽勢稍高く、西は橋下の谷より、東は誕生窟を限て、名を分つ。 狗留孫嶽は、率塔婆観音の双飛岩を主として呼べる大嶽の総名なり。 此大嶽廻旋の路あり。 周廻凡そ四町十二間とす。 巌上樹木鬱然たり。 巌上の西北端に双飛岩あり。 相並て直立す。 其一は高さ十五尋、率塔婆石といふ。 其一は高さ十尋、観音石といふ。 其囲七尺余、二石共に同じ。 栄西禅師率塔婆石を拝すとは、即此石なり。
[中略]
○狗留孫山多宝院端山寺 狗留孫神社の西、一町許にあり。 狗留孫社の別当なり。 本府大乗院の管下にして、真言宗なり。 本尊弥陀、薬師、観音。 開山千光国師なり。
[中略]
○金毘羅祠 本社の巳午方八町許にあり。 本社の前より、右に折れ路あり。 一嶽巒特に起り、峻絶にして、其頂上に平地ありて、方十歩許なるべし。 其頂上に此祠を建つ。 世に天狗宮といふ。 天狗の栖止せる所なりとて、土人恐怖せり。 申時後は参詣の人を禁ず。 また女人参詣を禁ず。 禁を侵せば、災殃ありとかや。 祭祀十一月八日。 祠伝に云、往古葉上僧正栄西、率塔婆石を拝せんとて、山中に尋入る。 此所に至て、憩ひけるに、一老翁来りて、其志願の深切なるを称じ、率塔婆石を指示して曰、師の所願既に遂ば、此山に熊野権現を勧請し、伽藍を建立すべし。 身は讃州金毘羅の者なりとて去れり。 栄西是を異とし、其言に従ひ、権現祠及ひ寺院を建立し、また此所に金毘羅祠を造営せりといへり。

「三国神社伝記」下(日向国)

狗留孫三所権現

所祭 麓山祇命
右勧請年間不詳 ○慶長年中、家久公御再興、
別当 狗留孫山 多宝院 端山寺(真言宗大乗院末) 葉上僧正開基、(年月不詳) 当山麓ヨリ三里山上ニ到テ、其長サ拾五尋、囲七尺四方、又長サ事五尋ニシテ囲ハ相同ジキ自然ノ二長石、深谷ノ中ヨリ屹立而空裏ニ聳ユ、 縁起曰、是ハ上古ニ健盤沙羯二龍王ノ為ニ、狗留孫仏観音大士建賜フ石卒塔婆也、仍テ山ヲ狗留孫ト号ス、 建仁寺之開山葉上僧正、唐土ニ在ノ日、医王山ニ於テ観音大士ノ示現ヲ蒙リ、 帰朝而此山ニ来リ、卒塔婆ヲ拝シ、谷傍ノ山嶺一宮ヲ建テ、弥陀薬師観音ノ尊像ヲ安置シ、三所権現ト号シ、 又宮傍ニ当寺ヲ建テ別当寺トス、始ハ台宗、今ハ新義ノ密宗ナリ