八幡神社 和歌山県田辺市中芳養 旧・村社
現在の祭神 誉田別尊(応神天皇)・玉依姫命・息長足姫命(神功皇后)
[配祀] 大海津見命
本地 阿弥陀如来

「大和・紀伊 寺院神社大事典」

芳養八幡神社

 近世の林村域の中央にある丘陵上に鎮座。 祭神は誉田別命・息長足比売命・比咩大神。 旧村社。 法人名は八幡神社。 所在地を含む芳養川流域一帯は平安時代以来、山城国石清水八幡宮寺領芳養荘として推移するが、当社は惣鎮守として勧請されたものと考えられる。 勧請時期は不明だが、正応2年(1289)2月29日の芳養荘下知状案(芳村文書)によれば、この時「楠本庄司紀国時」が「芳養荘八幡宮税師職」に補任されているので、これ以前であろう。 「続風土記」は「文治の頃鎌倉より地頭を置き領地を没収せんとせしかは石清水の領家へ訴訟す。此時石清水より楠本荘司といふ者を遣はし領地を守護せしめ、はしめて勧請す」と記す。 かつて当社の本地仏であった木造阿弥陀三尊像(現在は田辺市の泉養寺に安置、県指定文化財)は鎌倉後期の作とされ、伝承の勧請時期と一致する。
[中略]
 なお江戸時代も神主職は楠本氏が勤め、上芳養八ヵ村の産土神であった。 江戸時代、境内摂社に弁財天社、同末社に八島明神社など三社があったが、八島明神社について「続風土記」は「古老の伝へに八島志奴美命を祀る,此神は上古よりの鎮座にして上芳養四ヵ村の氏神なりしに、八幡宮を勧請の後末社とはなれりといふ、故に今ににいたるまで社地を八島の壇なりといふ」と記す。