平之荘神社 兵庫県加古川市平荘町山角 旧・郷社
現在の祭神 建速素盞嗚尊
[配祀] 天照皇大神・保食大神・子守神・大国主大神・菅原道真・応神天皇
本地 十一面観音

「印南郡誌」前編

村社 益気神社 升田村[LINK]

当社の由緒は益気物語に委しければ左に記す。
抑々平之宮熊野王子権現と申すは紀州に垂跡の時ふみの大臣を召し此国初発の時伊弉諾伊弉冊の二神の立たせ給ひし岩橋播磨国益気山に在り、彼土に分身の跡をたれんと宣ふ、 神勅に任せ益気山に社壇を建て権現を遷し奉る、 又伊弉諾伊弉冊の二尊天照皇神大宮をも勧請し奉り平、志方、名古瀬の三荘の百姓共是を崇敬し奉る、 昔は此山杉檜の大木生茂り風すれのため火自ら起りて山焼亡す、 此時熊野権現は今の中山に移し奉る、 [中略] 此後彼中山の宮を山角村に大社を造営して信崇し奉る、
[中略]
文禄三年甲午の九月祭礼にも十六箇所の頭人参詣し皆々上下を着し鰐口打鳴らし御神前に向ひ九拝し扨て各々座に着き黙礼を終り夫より神酒神盃を頂戴し四海波静かに九献の盃納まりける、 此時益気の人々進出で申しけるは、いかに平の面々益気の中にも郷士歴々もある所に毎年下座に居給ふ、以来屹度を改め我が上座ぞと申す 平の面々申さるるは尤なる仰なれども益気の人々は殺生を業とし給ふ、忝くも氏神は本地十一面観世音菩薩にてあれば御辺の如き生者は何れも上座には穢はしと申さる、

文禄四年[1595]に升田村が平之荘神社の氏子から分かれ、若一王子権現(益気神社)を創建した。