日影神社 埼玉県比企郡ときがわ町日影 旧・村社
現在の祭神 早良親王・伊予親王・藤原夫人・文夫人・橘逸勢・吉備公・大雷命・藤原広嗣
[合祀] 表津小童命・中津小童命・底津小童命 <志賀社>・菅原道真 <天神社>・迦具土命 <愛宕社>
本地
御霊社地蔵菩薩
志賀社十一面観音

「新編武蔵風土記稿」巻之百九十三
(比企郡之八)

日影村

御霊社

村の鎮守にて、本地仏地蔵を安ず、 長勝寺持

志賀社

本地仏十一面観音を安ず、 同寺の持

愛宕社

大泉寺持

天神社

大泉寺持

「埼玉の神社 大里・北葛飾・比企」

日影神社

  玉川村日影605(日影字小北)

歴史

 当社の創建は詳らかではないが、社伝によると、松山城主上田能登守が御霊社への信仰厚く、社殿の造営に貢献したとされる。 祭神も、御霊信仰の早良親王・伊予親王・藤原夫人・文夫人・橘逸勢・吉備公・大雷命・藤原広嗣の八所御霊である。
 『風土記稿』には「御霊社 村の鎮守にて、本地仏地蔵を安ず、長勝寺持」と見え、同寺は「開山玄久は天正十三年(1585)四月示寂せり」と記す。 『比企郡神社誌』にも当社棟札に「奉造立御霊明神宝殿・享保四年(1719)三月令日法印元季」とあり、法印元季とは別当長勝寺の僧侶であると思われる。 なお、本地の地蔵菩薩は現在も内陣に安置されている。
 文政二年(1819)の棟札には、「奉新建大権現鳥居一宇」と見え、現在も呼ばれている権現様は当時の号である。 また、内陣に安置されている御霊大明神と墨書された神璽筥には「文政三年三月七日神祇伯雅寿王」と記され、当時白川家より明神号を授与された。
 明治初年に村社となり、同四十一年に愛宕神社・天神社・志賀神社を合祀し、現社号に改称した。 合祀の際、志賀神社の本地である十一面観音像も内陣に安置され、現在に至っている。