氷川神社 東京都足立区舎人町5丁目 旧・村社
現在の祭神 須佐之男命
本地 十一面観音

「新編武蔵風土記稿」巻之百三十九
(足立郡之五)

舎人町

氷川社

当所及入谷、遊馬三村の鎮守にて、 正治二年当国一宮氷川明神を勧請し、八幡春日を相殿に祀ると云、 今神体に円径一尺許の華蔓を蔵む、銅にて杉板を包みたるものなり、その図左の如し、[図略] 応和四年に改元ありて康保と号す、 六年と云は康保三年丙寅にあたれり、 思ふにこれも例の東国にて、改元の事をしらざりし故なるべし、 土人の話に此華蔓に神明御前と記し、又古水帳に神明社除地等を載せたれば、元は村内に神明社ありて其社内に納めしなるべし、 其後かの社衰で当社へ合祀せしを、遂に神明は廃していつとなく氷川の神体となりしとならんと云、 此外に径八寸の銅蔓一枚又径四寸なるも三枚あり、 何れも銅仏をつけし蹟ありて、総の青錆をふくみて尤古色なり、 前に出し応和のものよりは古き世の物と見ゆ、
末社 疱瘡神社、稲荷社、弁天社、牛頭天王社、
本地堂 十一面観音を安ず、神輿も此所に置り、
別当金蔵院 新義真言宗、入谷村円通寺の末、延命山長久寺と号す