姫神岳神社 岩手県盛岡市玉山区玉山 旧・村社
現在の祭神 須勢理姫命
本地 十一面観音

「日本の神々 神社と聖地 12 東北・北海道」

姫神岳神社(小形信夫)

 近世に記された神社の縁起では、延暦年間(782-806)坂上田村麻呂が岩手山に籠る夷賊討伐の折、清水観音の権現、立烏帽子神女を東方の姫神岳山頂に祀って守護所として固め、岩手山の西口から攻めのぼって夷賊を滅ぼし、これよりのち立烏帽子神女を祀った霊山を姫ヶ岳とよび、岩手山・早池峰山とともに北奥の三霊山として山岳宗教の中心をなしたと伝えられる。
[中略]
 さらに、媛神山麓には十一面観音を祀る祀堂の多い事が指摘されている。 この地方の観音信仰がいつから始まったのかも不明で、寺堂の多くは近世の造建であるが、その沿源は開拓期以来、夷地の文化政策や教化と関連し、中世にも無名の優婆塞たちや遊行僧によって勧請され、観音霊地としての信仰が広められたのであろう。 当社のもととなる玉東山筑波寺が新山寺として姫神山麓のぶどうばた(のちに古神山に移すという)に設けられたのは、中世末頃と考えられる。 姫神岳山頂に奥宮を設け、姫大明神を祭祀し、十一面観音を本地仏とする神仏混淆は、田村麻呂の開山由緒に由縁した山岳信仰で、天台宗本山派修験の西福院が代々別当として祭祀を行ってきた。
[中略]
 明治三年、神仏分離令によって姫神岳神社と改称し、山腹の玉山金山跡といわれる古神山から小田ノ沢に遷座したが、この地は嶮岨で参拝困難なため、明治十一年四月、現在地に遷った。 現在の本殿は玉山観音堂を修覆したもので、それまでは上述の十一面観音を安置していたが、このとき同村城内の東福寺にこれをうつした。