| 日撫神社 |
滋賀県米原市顔戸 |
式内社(近江国坂田郡 日撫神社) 旧・県社 |
「近江国坂田郡志」第四巻
社宝中に、直径八寸六分の懸仏三面を有す。
何れも今井中西家政の施入する所にして、一面は「永禄八年〈乙丑〉卯月吉日」とあり。
二面は「永禄九年〈丙寅〉正月吉日」とあり。
即ち、
奉施入
日撫大明神本地薬師如来
永禄八〈乙丑〉卯月吉日
今井中西家政〈敬白〉
とあり。
本地垂跡説の喧伝せられし頃は、当社の本地仏は、薬師如来なりしを知らる。
「日本の神々 神社と聖地 5 山城・近江」
日撫神社(江竜喜之)
中世には、当社にも神宮寺・平等寺・長谷寺・来迎寺・勝正寺・仏光寺など多くの社坊が存在し、社僧が社務を執っていたが、現存する広林寺は当社の社坊仏光寺を改称したものといわれている。
こうした神仏習合時代のなごりを示すものとして、当社には永禄年間の懸仏と弘安六年(1283)の銅鐘が蔵されている。
懸仏は三面あり、いずれも今井中西家政が施入したもので、一面は永禄八年(1565)、他の二面は永禄九年の銘をもつ。
永禄八年の銘文は、
奉施入 日撫大明神本地薬師如来
永禄八乙丑卯月吉日 今井中西家政敬白
となっており、当社の本地仏が薬師如来であったことがわかる。