平塚神社 | 東京都北区上中里1丁目 | 旧・郷社 |
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現在の祭神 | 源義家・源義綱・源義光 |
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本地 | 阿弥陀如来 |
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平塚村にあり。 当社縁起に云く、往古八幡太郎義家兄弟、奥州前後十二年の戦ひ終はり凱陣のみぎり、この地に逗留ありて、城主豊島氏某(あるいは豊島太郎義近ともいへり)に鎧一領ならびに守り本尊十一面観音(長七寸、行基菩薩の作なり。いま城官寺に安置す)を賜ふ。 その後元永年中、豊島氏城内清浄の地を択んで、かの鎧を塚に築き収め(塚の形、高からずをもつて平塚と号す。地名もまたこれによりて称す)城の鎮守とす。 かつ社を営んで三連枝を安じ、平塚三所明神と号す(八幡太郎義家・加茂次郎義綱・新羅三郎義光)。 これ義家兄弟の武功を欽崇ひ、かつ武運を祈らんためなりと云々。 別当を平塚山城官寺といひ、安楽院と号す(城官寺の来由はしばらくここに略す)。 本地阿弥陀如来を安ず(赤檀仏毘首羯摩天の作、瑪瑙の玉座なり)。 昔筑紫安楽寺の僧回国修行のみぎり、この像をここに安置せしぞ。