火戸寄神社 東京都三宅村阿古  
現在の祭神 迦具突智神
本地 弁才天

「三宅記」

翁は是地神五代鸕鷀葺不合尊の御時此国へ渡たり。 我は是百済国にては天児屋根の尊と申されしが、齢三百二十に成ぬれば、昔今の有様も荒々覚侍ば、何国におはしますとも翁を忘させ玉ふな。 我に三人の子有り。 二人は男子・一人は女子なり。 一人をば若宮と名付。 正体は普賢菩薩なり。 一人は剣と名付。 不動明王なり。 一人の女子をは見目と名付。 正体は大弁才天なり。 海龍王とも申なり。 海中に在まさ為にも、亦衆生利益の為にも、神妙の者共成ば、王子に参すとて附奉り、あれに見えたる船こそ、幸に富士のすその(裾野)の方へ行船なれば、乗せ玉とて、四人船に乗せ奉て、此所をば後には丹波国と申すへしとて、翁は柴の庵へ帰ぬ。
[中略]
夫より上せ玉へて、三人召連れ、浦々まを伝て神明に逢参せ玉ひて、仰に任天竺へ帰、心よく父の勘当を許されぬれとも、綸言すて難き故此国には叶まじきとの事故、亦亦参たり。 可然には海中を与へ玉へとありければ、易き御事と仰せありて、海中を与へ参すへし。 此国の守護神達此国を守給後は、此国の守護神となり玉へとぞおほせ有ける。
王子大きに喜ひ玉ひて、見目若宮に仰せ在りけるは、嶋焼出ん事は如何はせんと有けれは、見目申されけるは、若宮は火の雷・水の雷を雇ひ玉へ。 剣御子は山神などより高根大頭龍を始め大小の神達を雇ひ玉へ。 我は海龍王を始諸龍神を雇ひ参せんとて、三人各々雇ひ玉へは、海龍王は見目に頼れ、白龍王・青龍王を始多くの龍達を引ぐし玉へり。 又若宮と剣御子に頼れ、火の雷・水の雷・山神の高根大頭龍諸の垂迹達多く集り玉ひて、我らを頼玉は垂迹と成り玉ふべし。 凡夫の躰にては如何むつぶべきとありけれは、去はとて則ち垂迹と現しじ、大明神と祝れ玉ひぬ。
[中略]
推古天皇二甲寅年正月八日午の時、凡夫の姿を石に写して垂迹となり在す。 [中略] 見目も大弁才天と顕れ、若宮も御姿を石に写止めて隠れむとし給ひけるを、壬生の御舘申されけるは、抑も此の明神后々王子王子の御事どもを末世の衆生の為には如何とか申伝べきと申されけば、若宮の仰有けるは、夫れに着き参らせ給候ハぬ先きの御事をば、或は明神の御物語を記し、或は見参らせ給ひたる事を記し置きて末世の衆生に伝へ給とて若宮も普賢の御姿に顕へ玉ひける。