人皇五十一代平城天皇の大同元年、僧徳一が常陸の筑波から東奥に巡錫して普く教化を施し、主従済度の道すがら松杉が蒼々と群立の裡に靉靆として異彩があるのを認めて近付くと、神籬が厳然として樹間に隠顕している。 これこそ田村麿将軍が嘗て神祇を祈られた瑞祥の霊跡なりと、徳一参拝して虚空蔵菩薩の尊像を刻み、これを祠に納め星宮明神と奉斎した。