居神神社 神奈川県小田原市城山4丁目 旧・村社
現在の祭神 三浦荒次郎義意
[合祀] 木花咲耶姫命・火之加具土神
本地 地蔵菩薩

「新編相模国風土記稿」巻之二十四
(村里部 足柄下郡巻之三)

山角町

居神明神社

三浦荒次郎(弾正少弼と称す)平義意の霊を祀る、 神体は束帯の像なり、(長一尺五寸許) 義意永正十五年七月十一日、北條早雲と戦負て自刃し、其首飛揚して当山の松梢に掛る、 (社地に枯松樹あり、径三尺首掛松と呼ぶ、按ずるに、陸奥守義同、弾正少弼義意父子、早雲の為に三浦新井城にて滅亡し、義意の首を当所に梟せしを、かく奇怪の説を儲しなるべし) 三年眼未だ閉ず、往返の人民其夭鬼に遭て、命を殞すもの少なからず、 因て総世寺沙門忠堂、和歌(うつゝとも夢ともしらぬ人眠り浮世の隙を曙のゝそら)を詠じて、怨霊を化導せしかば、頸松梢より忽堕、 (按ずるに此事【小田原記】【北條五代記】等に載す、但和歌を手向しかば首忽瞑して白骨となりしとあり) 且空中に声ありて、今より永く当所の守護神となるべしと聞へしかば、即松下に祠を建、神と崇むとなり、 当町及板橋村の鎮守なり、 祭礼六月十一日、隔年に神輿巡行す、(巡行の次第、山角・筋違二町より箱根口城内馬出門にて祈祷、大手に出、青物町欄干橋町より安斎小路に入、浜下り祈祷、夫より板橋村地蔵堂前に至る) 此式大永元年より始れりと云、 幣殿・拝殿前に石階等あり、 按ずるに、町内伝肇寺所蔵、天正十六年の文書に、井神之森と云事見ゆ、
△末社 摩利支天 金毘羅 牛頭天王 水神 疱瘡神
△本地堂 子易地蔵を置、(恵心作、長三尺二寸)
△神輿堂
△別当庭松寺 曹洞宗、(板橋村香林寺末)居神山と号す