伊香具神社 滋賀県長浜市木之本町大音 式内社(近江国伊香郡 伊香具神社〈名神大〉)
旧・県社
現在の祭神 伊香津臣命
本地 地蔵菩薩

「近江国輿地志略」巻之八十八
(伊香郡第一)

大音大明神社[LINK]

〇大音大明神社  大音村にあり。 縁起に曰、抑当社の本祖を尋て、系図の来由を鑑みるときんば、天神七代に初、国常立の弟をば、天御中主神と号す。 此神十代の孫をば、天児屋根尊と号す。 児屋根尊六代の孫をば、伊香津臣命と云。 即此当社の明神也。
[中略]
伊香津臣命当所に鎮座し給ふとは、上世斯地湖水あり。 郡国何そ別ん。 但し諸神の遊戯する所なり。 伊香津臣命子孫に告て曰。 吾天津児屋根の事を伝て、天照皇孫に侍従して、久識宝器を護る。 尚此地に止て当に末代を護るへし。 即当郡伊香と名づく。 其神の名也。 又人皇四十代天武天皇白鳳九年辛巳氏を伊香宿禰豊厚と改め賜て則此地に封す。 是より永く藤原氏と別也。 一年弘法大師諸州に遍歴して、神木霊草の区処として、至らずといふ事なし。 此地神霊あることを知て、憩て勤念する事久し。 或夜月の晴明なるに当て、一女忽ち現して社前の湖畔より来る。 大師怪しみ問ふ。 答すらく、われはこれ斯地の神也。 上人偶来て法施身に余る。 これ吾幸福也。 願はくは上人此江隈を決つて溜滞を却よ。 必ず吾か本体を知らんと。 言終つて去らんと欲す。 大師復問。 神いづれの処にか止る。 答らく此沢の乾隅の尖き高き、即ち是賤ヶ岳也と。 曰て去て復来らす。 大師神勅に依て、山陵を鑿つて涓水を涸す。 湿泥の中に就て尚推求す。 則果して地蔵薩埵の尊像を得たり。 豈異人ならんや。 彼神此菩薩なると実に其知れり。 則当社を建て神仏共に崇敬す。 又人皇五十九代宇多天皇寛平七年菅氏の奏達に依て、当社を討究して叡信甚た篤し。 菅相自法華経金光明経を書て宝殿に納む。 即ち勅額を賜て正一位勲一等大社の大明神金剛覚印菩薩と。

真鍋広済「地蔵尊の世界」

地蔵本地垂迹考

(15) 氷分明神

 この明神の本迹信仰も「地蔵三国霊験記」(巻四、第十三)に見えるもので、『江ノ国ノ岸ニ氷分明神ヲ勧請シテ鎮守トス。此ノ明神本地地蔵ナリ。氷分明神ト申スハ、伊弉諾尊有ル時御祓ヒ在給フトキ出現ノ神ナリ。(中略)今此ノ所ニ鎮座シ給フテ大音明神トアラハレサセ給ヘリ。』とあり、江の西の岸とは余呉湖の西岸を意味し江州伊香郡木ノ本地蔵の鎮守神としてそこに氷分明神即ち大音大明神を祭祀したというのであるが、然しこの垂迹説は原本に見えるように天武帝の頃のものとはもちろん考えられず。恐らく江戸初期頃に言い始められたものであろう。