息栖神社 茨城県神栖市息栖 国史現在社(於岐都説神)
鹿島神宮の元・境外摂社
旧・県社
現在の祭神 岐神・天鳥船神・住吉三神(上筒男神・中筒男神・底筒男神)
本地 釈迦如来・薬師如来・地蔵菩薩・不動明王・毘沙門天 薬師如来

「神道集」巻第五

春日大明神事

そもそも鹿嶋大明神は、常陸国に垂迹故、天神七代、国常立尊より、伊弉諾・伊弉冊尊の御代終りて、地神五代に荒振神達を鎮め、大小神祇在々に定りたまふ。 その時天津児屋根尊は金の鷲に乗て、常陸国中郡古内山に天下りたまふ。 その後国中を廻り鹿嶋郡は吉き処とて、御在所を定む。 鹿嶋に思惟大明神とて山中に石在り。 即ち大明神の御思惟有る処なり。
[中略]
忝くも当時御在す御宝殿は西向きなり。 ある人の云く、天王寺へ向へり。 この地は東岸の終、日本国は東の終なるが故に、仏法東漸より始と終とを思へり。
不開御殿は北向きなり。
奥御前は天明大神等なり。
六所明神は大龍神なり。
南八龍神は、本地は不動明王これなり。
[中略]
北八龍神は、本地は毘沙門天王これなり。
[中略]
そもそも鹿嶋三所は沼尾・酒戸並ふる。
沼尾は本地は薬師なり。 [中略] これは明神の御弟なり。
酒戸は本地は地蔵菩薩なり。 [中略] これは明神の御妹なり。
息洲三所は本地は釈迦・薬師・地蔵・不動・毘沙門等これなり
手子后は本地は釈迦なり。 これ三世常住の如来、一代五時の教主なり。

「木曾路名所図会」巻之五

息栖大明神

息栖大明神(息栖磯辺より一町ばかりに鎮座)
祭神 気吹戸主命。
[中略]
末社二前(本社の後にあり) 同一前(本社の左にあり)
猿田彦社(本社の左にあり) 拝殿(本社の前にあり)
八大竜王社(本社の入口にあり) 本地堂(本社の右にあり。薬師如来を安す)
当社は人皇十五代、神功皇后東夷征伐の御時、南海木の水門に泊り給ふ。 此時鷁船海波に漂泊て進得ず。 水夫力をつくせど行ず。 遂に武庫の海浜に戻る。 皇后怪しみ給ふ処に、此明神忽ち三筒男の神と現じ、武甕槌命・経津主命顕れ、東征の将軍となりて其副となり給ふ。 皇后これに従ひ、神のをしへの如く、鷁船忽ち走りて容易賊敵を征し給ふ。 還幸の御時、武甕槌神を鹿嶋に祭り、振威主神を楫取に祭り、此神を泛洲の浜に祭給ひて、崇敬他に異なり。 故に東国三社といふ。 時に八大竜王、湖中より陰瓶・陽瓶といふ二つの石井を明神に献す。 これ金輪際より涌出するの霊泉なり。 厥后五十代平城天皇、明神を尊崇し給ひて、大同二年四月十三日、藤原内麿に勅して、こゝに神祠を建て、又陰瓶・陽瓶の霊泉は、海中鳥居の左右に涌出す。 潮の中にありといへども、其味ひ淡し。 故に忍潮の井といふ。 朝夕神供を炊奉る。 伊勢国朝熊山の明星井、山城国賀茂の御手洗井、此霊水と日本三所の名泉也。