伊古奈比咩命神社 静岡県下田市白浜 式内社(伊豆国賀茂郡 伊古奈比咩命神社[名神大])
旧・県社
現在の祭神 伊古奈比咩命
[配祀] 三嶋大神・見目大神・若宮大神・剣の御子
本地
伊古奈比咩命聖観音
三嶋大明神薬師如来
若宮普賢菩薩
見目弁才天
剣の御子不動明王

「三宅記」

亦三宅島に置せ玉ふ后をば天地今宮とぞ申ける。 此御腹にも王子二人在しき。 一人はアンネヰゴ、一人はマンネイゴとぞ申ける。
[中略]
扨て代々過る程に、文武元丁酉より大宝元辛丑年迄に、島々后々王子王子、大明神の御誓願の如く衆生の願ひを満足せんと、各御願を立て玉ふ御姿を石に写し顕玉ひぬ。 [中略] 天地今宮の后は聖観音と顕玉ひぬ。

「伊古奈比咩命神社」[LINK]

本地垂跡の完成

次に観音に対する信仰も、我国の古代より通じて行はれた現象に属し、慈悲を具象する形像が女性的なる為めに、女神の垂迹とせられたことは多数の例によつて窺ひ得られるが、殊に此の場合においては、薬師如来の眷属中、八大菩薩の一に聖観音が加へられてゐる所からしても、伊古奈比咩命の本地を以てそれとするに応しいと感じたのであろう。
[中略]
 なほ以上の推定を間接ながら裏書すると思はれるのは、本社に所蔵されてゐる本地仏の御像である。 即ち木彫の薬師如来座像一躯で、檜材内刳の寄木造、手と膝の一部とを欠き、台座と光背とを存せず、更に薬壺をも失つてゐる。 その法量は御丈二尺八寸五分、膝幅二尺二寸五分を有つほぼ等身大の御像である。 而して御顔の峻厳なことと、姿態の均整宜しく且つ衣文の彫法にも見るべきものがあつて、室町時代初期頃の製作と推定せられるのである。 申す迄もなく本像は三嶋大明神の本地仏として造願せられたもので、当時はその御正体として内陣に安置せられたものであらう。 又社伝に言ふ所の春日作と称せられたものに該当し、後世藤井伊予から排斥の厄を蒙られた御像であらう。 何れにしても江戸時代中期迄、本像が本殿内に安置せられたことは、寛文・延宝・寛保・享和等の棟札銘によつても察するに難くない。 なほ之に対して伊波乃比咩命の本地仏と推定されるものは、遥かに小型で且つ後世の製作に係る木彫聖観音立像一躯が、現に本社に蔵せられてゐる。 蓋し仏徒の威勢盛な頃は、専ら薬師如来の信仰が本社を覆うふてゐたので。北豆に遷祀せられたとも考へられてゐた三嶋神の本地仏が、本社の主体を成してゐたことは頗る注意すべき点である。 その因つて来る所は上述の三宅記に記された薬師如来の信仰が基調を成すものであり、従つて前記の薬師如来像が、本地垂迹説の完成盛行した当時に造立せられたものと見ることは過言ではあるまいと思ふのである。