現在の祭神 |
応神天皇 [合祀] 伊弉諾尊・伊弉冉尊・福禄寿 |
「江戸名所図会」巻之六(開陽之部)
今戸八幡宮
今戸橋より一丁ばかり北の方、道より左にあり。
祭神、山城国石清水に同じ。
別当は天台宗にして、松林院と号す。
祭礼は毎年八月十五日にして、放生会を修行せり。
社記に曰く、源頼義朝臣、義家公とともに勅を奉じて、奥州安倍貞任・宗任を誅戮したまふ。
よつて康平六年癸卯八月、その祈願として、鎌倉由比郷およびこの今戸の地に至り、石清水八幡宮を勧請あり。
その後奥州武衡・宗衡兄弟叛逆のときも、義家朝臣鎌倉鶴岡および当社八幡宮に祈願ありて、賊徒を亡ぼし勝利ありしゆゑ、永保元年辛酉両社の修造を加へられ、行基彫造の弥陀をもてここの本地仏とし、また同作の薬師および慈覚の作の観音等の像をも安置ありしとなり。
「御府内備考続編」巻之七
八幡宮(浅草今戸町)
右社地被下候年月聢と相知不申候、今戸町之総鎮守に御座候、
当社勧請之年代も聢と相知不申候得共、正治元己未年八月吉祥日と斗り縁起に有之、
[中略]
○本社 祭神正八幡宮(座像、丈六寸許) 愛染明王(坐像、丈五寸) 仲哀天皇(坐像、丈七寸)
貞享六年に記し候略縁起に、康平六年源頼義奥州安太夫安倍定任等を討罸の砌、祈願によつて鎌倉鶴ヶ岡と浅草今津村に両社を勧請あり、
其後永保元年武衡家衡を討罸の祈願成就に依て両社修造を加へらる、
文治五年頼朝卿奥州出羽両国の守護西木戸伊達次郎を退治の節祈誓あり、
建久元年願成就に依て再建あり、
[中略]
○本地堂
本尊阿弥陀如来(坐像、行基作) 倶利迦羅不動(木像)
本尊不動(立像、弘法作) 観音(立像、慈覚作)
○護摩堂 大破に付当時取払申候、
本社 太子堂 稲荷社 金毘羅社
[中略]
○別当八幡山無量寺松林院 浅草寺末