忌宮神社 山口県下関市長府宮の内町 式内社(長門国豊浦郡 忌宮神社)
長門国二宮
旧・国幣小社
現在の祭神 仲哀天皇・神功皇后・応神天皇
本地
仲哀天皇十一面観音
神功皇后如意輪観音

真言宗 福仙寺[LINK]より

歴史[LINK]

当山には毛利長府藩の祈祷寺だった神宮寺の寺宝・什物が今に保存されている。
この神宮寺は市内城下町長府忌宮神社の別当寺であった。
明治の廃仏毀釈により当山が神宮寺の本尊・寺宝・什物を預かる事になる(合併)。
[中略]

満珠・干珠は神功皇后にまつわる長府沖近くに寄り添うように浮かぶ小さな二つの小島で、忌宮神社の飛び地境内。 島の名の由来は神話時代外敵がこの地に襲ってきた時、初めに干る玉を投げ込んで船を足止めし、船を捨てて干上がった地に徒歩で渡って来た敵人に対して、今度は満ちる玉を投げて海の水を元に戻し水攻めで敗退させたという神話にまつわるものとされている。

長府の町は大化2年長門の国の国府と言うことで長府と呼ばれるようになり、それ以前は豊浦と呼ばれていた。 西暦193年仲哀天皇・神功皇后により宮が築かれ一時都が在ったところ。 熊襲征服に向かう時に拠点にしたところ。しかし、仲哀天皇がその最中亡くなり、その後宮の跡に神社が造立された。 それゆえ忌を使った神社となる。 忌の字を使った神社は数多ある神社の中でここだけにしかない。
仲哀天皇崩御のあと神功皇后が新羅を攻略して凱旋したことで知られる。
古来忌宮神社は戦勝祈願の宮(寺)となっていた。 別当寺の神宮寺では時の為政者の戦勝祈願として太元帥法の温座行(一時も座を冷まさないでする修法)が盛んに修せられていた。 当山にはその修法の仕方や行法次第が残されている。

主なみ仏たち[LINK]

神功皇后本地仏 如意輪観音
仲哀天皇本地仏 十一面観音
本地仏思想は鎌倉期から盛んになった。