忌宮神社 山口県下関市長府宮の内町 式内社(長門国豊浦郡 忌宮神社)
長門国二宮
旧・国幣小社
現在の祭神
忌宮神社仲哀天皇・神功皇后・応神天皇
摂社・若宮社仁徳天皇
本地
仲哀天皇地蔵菩薩
神功皇后阿弥陀如来
応神天皇阿弥陀如来
仁徳天皇十一面観音

「防長寺社由来」

長府 神宮寺


長門府中 二宮神宮寺由来書
長門国府中真言宗 無本寺 神宮寺
一 寺建立の事、付り 建立の次第并縁起の写、建立の年月、施主何某の事
右は二宮社僧相勤申候、 縁起は先年寺焼失の節より無御座候事
一 本尊并脇立書記候事
右当寺本尊は二宮本地仏
 仲哀天皇 本地地蔵尊
 神功皇后 本地阿弥陀
 応神天皇 本地阿弥陀
 仁徳天皇 本地十一面観音
右施主并作相知不申候

「中世諸国一宮制の基礎的研究」

長門国

Ⅱ 二宮

1 忌宮神社。
5 祭神は仲哀天皇・神功皇后・応神天皇。 本地仏は地蔵尊・阿弥陀。
6 「長門国豊浦郡二宮由緒」(寺社由来)に、二宮の「社僧三ヶ寺」として神宮寺・長願寺・宮司坊が挙げられている。 この内の神宮寺は二宮本地仏を本尊とする別当寺であり、鎌倉後期頃の「忌宮神社境内絵図」にも境内の東北隅に描かれている。
7 『二宮万緒略記』巻上(寺社由来)に「二宮縁起之略記」を載せている。 これによれば、『日本書紀』仲哀・神功記とほぼ同種の話を記した後に、仲哀天皇を河内長野陵に葬った際、それまで殯宮としてきたかつての宮居の地、穴門豊浦宮にこれを祀ったのが忌宮の起源とする。 その後、神功皇后・応神天皇を配祀したが、仲哀天皇の託宣により「我国ノ威光ヲ異国ニ輝カシ、四海ヲ治メ民ヲ憐ミ美政後昆ニ伝フ、其得限無」き皇后を奉遷して本となし、仲哀を左、応神を右に配し、後に仁徳天皇を別宮に祀り若宮としたとある。

真言宗 福仙寺の「主なみ仏たち」[LINK]では「神功皇后本地仏 如意輪観音」「仲哀天皇本地仏 十一面観音」とする。