「新編武蔵風土記稿」巻之七十六
(久良岐郡之四)
富岡村
芋明神社
小名板橋にあり、
疱瘡神なり、
疱瘡をいもと訓るより、仮借して芋明神と書すなるべし、
小社にして上屋二間に三間、
前に石の鳥居を建、
縁起を閲に寛永年中、村内慶珊寺に仕へし茂右衛門といへるもの、寺辺にて丈二間許なる蛇を打殺せり、慶珊寺の住職伝雅、是を憐みて経文を授け門外に埋めしむ、
其夜蛇の霊童子となり、伝雅の夢に入て告げるは、我経文の功徳によりて天に生せることを得たり、今より世に疱瘡を患ふものを守護すべし、此上の芳志に、我為に一社を造営して与へよと云、とみて夢覚たり、
明る朝枕の辺に、蛇蛻のありしを見て、伝雅奇異の思をなし、即ち一社を造立し、疱瘡神と崇め、楊柳観音を本地仏とす、長六寸許、是よりして霊験著く、参詣のもの多しと云、
尤も信ずべき説ならねど、其略を記せり、
是に據は、慶珊寺持たるべきに、いかなる故にや村内長昌寺の持となれり、
例祭二月五日、
霊芋 社前の池中にあり、池は僅に一間四方、中央の小嶼に柳一株たてり、
其水中に後生し、形状は白芋(俗に蓮芋といふ)に似たれど、四時枯れず、
これ神号によりて芋を植しものにや、
されど霜雪をおかして、青葉凋まざる、ことに奇と云べし、
もし此芋を折とりなどするものあれば、立所に祟ありと、
疱瘡を病ものに池水を飲しめ、祈願すれば必恙なしといへり、
池辺に囲垣あり
「日本の神々 神社と聖地 11 関東」
関東地方の民俗信仰(川口謙二)
この芋明神祠は、京浜急行湘南富岡[京急富岡]駅より国道十六号線を横浜方面に向かって10分、東富岡バス停から2分ほど行った左側の道路下に石の地蔵とともにある石祠がそれである。
長昌庵は現在、臨済宗長昌寺と寺名が変わっていて、境内には直木賞の直木三十五の墓がある。
[中略]
疱瘡にかかると芋明神に祈願し、少しでも癒った人々は、前に長昌寺から受けた赤いお札を手に、里芋を包んでお礼詣りをしたものであるが、現在は芋明神祠に参詣する人々はほとんどいない。
長昌寺に残る名簿を見ると、大正初年までは、横浜市内はもちろん遠く鎌倉あたりまで多くの信者がいたことがわかる。
前記の本地仏楊柳観音は長昌寺に安置されている。