岩手山神社 岩手県滝沢市柳沢 旧・県社
現在の祭神 大穴牟遅命・宇迦之御魂命・倭建命
本地 阿弥陀如来・薬師如来・観世音菩薩

「日本の神々 神社と聖地 12 東北・北海道」

岩手山神社(小形信夫)

 祭神は大穴牟遅命・宇迦御魂命・倭建命の三神。 当社のほか、秀峰岩手山をとりまくように同名の神社が雫石町長山、松尾村寄木、紫波町赤石、盛岡市中央通に散在する。
[中略]
山頂を「御殿」と呼び、ここに岩鷲大権現の奥宮が祀られ、また裾野の登拝口に遥拝所として社祠が設けられてきた。 古来から登山口として東方に柳沢口、南方に雫石口、北方に平館口の三方があり、それぞれに岩鷲山を山号とする新山堂がある。
 岩手山信仰の縁起は坂上田村麻呂に始まる。 すなわち延暦二十年(801)田村麻呂が蝦夷征討の功成って当地に三神を勧請し、国土の守護神となしたことが創始と伝えられる。 雫石口新山堂の伝承では、坂上田村麻呂が鬼ヶ城にこもる鬼賊を平鎮した際、麓のマタギで巨人の篠木五郎・篠崎八郎の二人が八尺の鉈を振るいながら先立案内し、そのゆかりによって田村将軍は雫石口新山堂を創建したという。 また、田村将軍はこの霊山において祭事を行ったとか、山頂に田村将軍の尊霊を祀って田村権現と称したなどともいう。
 さらに柳沢口新山堂の沿革には次のように伝えられる。 すなわち文治五年(1189)九月、源頼朝が藤原泰衡を廚川に滅ぼしたが、このとき彼は戦功のあった工藤小次郎行光に岩手郡三十三郷を与え、また岩鷲山へ奉斎する阿弥陀・薬師・観音の三尊像を行光に賜わり、大宮司に任じたという。 行光は建久元年(1190)五月二十八日、家臣とともに岩手山に登拝し祭祀を行ったと言われる。
[中略]
 明治二年、柳沢新山堂は維新の令により権現号を廃止して岩手山神社と改称し、権現の本地とする弥陀・薬師・観音を廃して上記の三神を祀り、明治四年に郷社、大正五年十一月に県社に列した。