皇足穂命神社(飯縄神社) 長野県長野市富田 式内社(信濃国水内郡 皇足穂命神社)
旧・郷社
現在の祭神 保食神
本地 大日如来 不動明王 地蔵菩薩 勝軍地蔵

「日本最初火防開運 飯縄山略縁起」

信濃国水内郡飯縄山大明神略縁起
抑、飯縄大明神と称し奉るは、天神第五偶生の御神大戸之道尊を斎祭り奉り、御本地は大日如来にして、即不動明王の変相に渡せ給ひ、火防随一の御神徳世に著し。 或は衆生済度の為に地蔵菩薩と現じ、武門擁護の為には勝軍地蔵と示現ましまして、其冥感測るべからず。 畢者人王十六代応神天皇の御宇、当山に跡を垂れ給ひてより、五十四代仁明天皇の御宇迄は世の人猥に登山する事を得ざりしとなん。 嘉祥元年辰の三月、学問行者といへる聖ありて、此山に登らんと神仏に祈誓し、遂に山頂に到り、親しく尊容を拝し奉りしと云々。

「飯縄大明神縁起」

夫れ飯縄大明神御本地を尋れば、大日如来教合流布身大聖不動明王等流変化也、 抑往昔即度大王御座す、名を妙善月光と号す、后は金毘羅夜叉と申す、 十八人王子御座す、十人は俗に成し、八人は出家と成す、 十人王子各々白狐に乗し、我朝秋津島に天下り給ふ、 是時仁王三十代欽明天王御宇か、 摂津国難波浦に留まり、即ち甲斐国白根嵩に登り、日本嶽々山々を見廻し、兄弟十人の有所を定め給ふ、 先第一宮栄術天狐は丹波国愛宕嶽に住給ふ、 第二宮栄意天狐は近江国平野嶽に住給ふ、 第三宮智羅天狐は信濃国戸隠山飯縄嶽に住給ふ、 第四宮尊足天狐は駿河国富士山に住給ふ、 第五宮通達天狐は加賀国白山嶽に住給ふ、 第六宮智結天狐は紀伊国熊野大峯に住給ふ、 第七宮命師天狐は出羽国羽黒嶽に住給ふ、 第八宮仁命天狐は伯耆国大山嶽に住給ふ、 第九宮飛頂天狐は下野国日光山に住給ふ、 第十宮道足天狐は大和国金峯山に住給ふ、 此の如く所々に住し、不信懈怠の者の障碍を為し、勇猛精進の者の心中の諸願を叶はせ給ふ、 出家八人は震旦の天台山に住給ふ、 釈尊教法を伝え八体地蔵是也、
[中略]
殊更第三宮智羅天狐は飯縄大明神と顕し、妙高山黒姫山東山浅間四阿嶽飛廻り、世界を守護し給ふ

「日本の神々 9 美濃・飛騨・信濃」

飯綱神社(小林計一郎)

 かつて飯縄信仰は西方に隣接する戸隠山の信仰と一体であったと考えられる。 『阿娑縛抄』(文永十二年・1275成立)には、戸隠の学問行者が嘉祥二年(849)飯縄山で七日祈念したあと戸隠を開いたと伝え、戸隠の名は飯縄山の前を戸のように隠しているからだと説いている。 また『戸隠山顕光寺流記』(戸隠神社の古縁起)は嘉祥三年三月に学問行者がはじめて飯縄山に登拝して諸神の加護を請うたと述べている。 戸隠修験にとって飯縄山が重要な行場の一つであったことは疑えないところであり、飯縄大明神は早くから戸隠山の鎮守とされていた。 飯縄修験は鎌倉期に戸隠山の支配を離れて飯縄大明神を「天狗」と唱え、いわゆる「飯縄修法」を行うようになった。 これは飯縄大明神が天狗となり六地蔵などに変幻自在に身を転じて衆生救済にあたることを思想背景とした秘法であったが、室町時代から広く信奉されるようになり、『飯縄平座秘法』(大井文書)に十三ヶ条の口伝として記されている。
 戸隠三院のうちでは、宝光院がとくに飯縄と深い関係にあった。 おそらく鎌倉時代に始まったと思われる柱松神事では三本の柱松が立てられたが、その中央を戸隠権現、左右を飯縄権現、白山権現と称していた。 宝光院の本地仏は地蔵菩薩であり、これは飯縄権現の本地仏でもあった。
[中略]
 飯縄社の本地仏であった地蔵菩薩には「応安二年(1369)千日太夫」の銘がある。 「千日太夫」は飯縄神主(先達)の代々の通称であったが、おそらく飯縄山で千日の行をして神主職についたことがこの通称の由来であろう。 飯縄山八合目ほどの場所に「千日屋敷」と称する遺跡があり、今もはっきり残っている。 形式的には千日太夫が室町時代における飯縄信仰の中心的地位にあったものと思われる。 飯縄大明神の本地仏「銅造地蔵菩薩半跏坐像」の背には次のような銘がある。
 飯縄山地蔵菩薩
右意趣者為大施主源
 文殊丸
大願成就故也
 応安二年八月廿二日
  千日太夫

「仏像図彙」

飯縄権現

本地不動
[図]