治子神社 | 埼玉県行田市下中条 |
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現在の祭神 | 治由保命 |
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本地 | 聖観音 |
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歴史
口碑によると、当社は鎌倉期成田下総守長安が忍城に入った時、城の守護神として埼玉の浅間神社と当社を祀り、祀職に長安の叔父を当てた。 この子孫が二軒に分かれ修験となり、一軒は象三宝と称し浅間神社の別当となり、もう一軒は象賢坊で当社の別当成田金蔵院になったという。
旧名主長谷川家文書を写したという境内碑文には「治子大明神は天照大神の末子にして、応永八年鎌倉郷長谷荘より遷座す。元は利根川縁に有りしが天正十八年現在地に移し寛政年中本殿改築す。又当社の獅子舞は天明年間利根川大洪水の折、獅子頭漂着したに始まる」とある。
また、忍城主成田繁康が下中條村へ隠居した折、屋敷神として勧請するともいう。 『風土記稿』には「治子明神社 村の鎮守なり、祭神は天手長雄命と云。別当金蔵院小角山と号す、本山修験」とある。 一方『明細帳』による祭神は治由保命である。
内陣には木造寄せ木造り漆箔玉眼嵌入聖観音像が安置される。 これは、像高85センチメートルで秀作である。