柿本神社 兵庫県明石市人丸町 旧・県社
現在の祭神 柿本人麿朝臣
本地 十一面観音 阿弥陀如来

「人丸縁起」[LINK]

夫播州明石郡ノ人丸大明神ト謂フハ深ク本地ヲ尋レバ忝クモ十一面観音薩埵の化現ナリ。 殊に住吉大明神、玉津嶋大明神之垂迹ニシテ衆生ヲ済度スル為人丸ト現ハレ此ノ浦ニ留リ給フ。
[中略]
 面授口決ニ云
  第一 チルハ雪 チラヌハ雲トミユル哉 吉野ノ山ノ花ノヨソ目ハ  上品
  第二 ツネヨリモ 雲ソカサナル三吉野ノ 吉野ノ山ノ花ノサカリハ
  第三 オシナヘテ 皆白雲トミユル哉 嵐モシロク花ヤチルラン
以上三首ニ九品悉ク備ハル也
 古人丸三首之歌ヲ誦給テ我出世間之本意ヲ露セル也ト宣 是ニ依テ桜之歌ヲ甚深之奥旨ト伝授也 人丸ハ西方極楽世界ノアルジ妙観察智之如来也 素盞烏命之化現暫衆生結縁シタメニ娑婆世界ニ現レ給ウサレハ是ヲ知人無シ 如来ハ東ニ向給仏也 東ハ春之方、春ハ木ヲ主トスル 爰ヲ以テ花ヲ宗ト賞翫ス花ノ中ニハ桜ヲ以テ第一トスル也 今人丸ノ詠歌ニ桜ヲ雲ト見ナシタル様ニ誦ミ給事我ハ是本来報身之如来ナルガ権ニ此世界ニ出ツルト云エリ サレドモ花ヲ花ト見ス白雲カト見ルト誦給、白雲ハ即是仏之台座ナルニ依テ花ヲ雲ト見ルトアソハセハ心エトエニ仏地ニ任シ給間本来之仏ヲ人ニ示ス心也、 又花ハ白雲トシ本文ニモ如是也 去程ニ此歌誦ミ置キ給テ九品之次第ヲ現ス也 人丸阿弥陀如来ニテ御座ス事爰ニテ知ルヘキ事也
  人丸之縁日 三月十八日 五月廿五日也
    嘉暦二年五月廿五日

「日本の神々 神社と聖地 2 山陽・四国」

柿本神社(黒田義隆)

 伝承によると、光孝天皇の仁和年間(885-9)に明石の岡の楊柳寺住職覚証が霊夢によって、柿本人麿の神霊がこの地に留まっていると感得し、裏山の古塚(円墳、明石公園に現存)を人麿の塚と知り、そこに人麿の祠を建てて寺の鎮守としたという。
[中略]
 当社は前記のように、現在の明石公園に鎮座していたが、羽柴秀吉は「人丸は和歌第一の神仙」と尊び、大明石村新開田30石の地を寄進した。 しかし小笠原忠真が将軍秀忠の命によって元和五年(1619)人麿山に明石城を築いたときは、当社は替地である東の丘(現、人丸山)に遷ることとなり、人丸社(柿本神社)と別当月照寺が新築されて、新たに40石の社領が寄進され、それはのちに朱印地となる。 代々の明石城主は新しい人丸社の社殿・境内の整備に力を注ぎ、従来の人丸社は、そのまま明石城の鎮守として祀られた。
 享保八年(1723)は柿本人麿の一千年忌に当たることから、歌道を崇ばれる霊元上皇の執奏によって正一位柿本大明神の神号神位が宣下され、女房奉書が下賜され、三月十八日には盛大な祭典が行われた。 それ以降、この日が例祭日となる。 またそれ以来、柿本大明神に対する宮廷の崇敬は殊に厚く、仙洞より親王または上級公卿に古今集伝授、天仁遠波てにをは伝授のあるときは、必ずその無事終了が祈願された。 その書状が旧別当月照寺に多く保存されている。
 祭日は江戸時代は毎日十八日であったが、現在は春祭(例大祭)を四月第一日曜日(近年まで四月十八日、もと旧暦三月十八日)、秋祭を十月十八日(もと旧暦九月十八日)に行う。 嘉暦二年(1327)成立の『人丸縁起』には、人丸の縁日は三月十八日と五月二十五日(命日)で本地は十一面観音(像が旧別当の月照寺にある)とあるが、十八日は全国の観音の縁日でもある。