伝へ云ふ往昔明神嶽の頂上に毎夜光明を放てるものあり 里人之を異として検するに白幣なりければ即ち其地に神社を創立し嶽大明神と称す 後ち現今の地に遷座し神元神社と改称し其旧趾には小祠を営みて奧宮とし旧名に因みて嵩大明神と称せしも是亦後に本社に遷座せり [中略] 〔本殿造立棟札。明暦三年〕 奉造立神之本大明神 夫御本地者釈迦施歳但懸氏子立納御宮辺本願