賀茂神社 高知県須崎市多ノ郷甲 旧・郷社
現在の祭神 賀茂別雷神
本地 聖観音

「南路志」巻二十五
(闔国第九ノ五 高岡郡)

多野郷村

賀茂大明神  祭礼大祭四月四日 九月九日 十一月酉日 此外毎月有
社領弐反四拾代、外に一反二十五代馬場新地、寛文年中御寄附也。 此分下分村元亨院支配也。 別当観音寺
○本地仏聖観音(何龍云、左に図する所当社の本地也。然に梵字は訶の字にて地蔵菩薩也。昔此本地を津野氏より納めし由、正観音の本地を地蔵に誤りたるなるへし。文化五年三月、観音寺現住大学いへり)
板を銅に包たるもの也。 梵字も銅の切抜釘に而打。
梵字
裏書有 土州高岡郡津野庄多野郷賀茂本地仏
    寿永二年正月日

「日本の神々 神社と聖地 2 山陽・四国」

賀茂神社(高木啓夫)

 賀茂大明神ともいわれ、古くは「鴨社」とも表記されている(旧郷社)。
[中略]
 その後、康和十一年(1100)に京都賀茂社領として津野庄が成立したが、当社の本地仏聖観音銅板に寿永二年(1183)とあるところからして、当社は津野庄の成立と前後して京都賀茂神社より勧請されたものであろう。 津野庄の豪族であった津野氏は左大臣藤原仲平を父とする蔵人頭藤原経高が延喜十三年(912)に落去してきたことに始まるという。 須崎から入国したという説と、伊予から四国山地越えで入国したという説があるが、社伝によれば、当社は津野経高によって勧請され、同時に彼は当社の西隣に別当神宮寺をも建立したという。