金桜神社 山梨県甲府市御岳町 式内論社(甲斐国山梨郡 金桜神社)
旧・県社
現在の祭神 少彦名命・大己貴命・須佐之男命
[配祀] 日本武尊・櫛稲田姫命
本地 釈迦如来・文殊菩薩・普賢菩薩

太川茂「江戸時代の甲斐御嶽山金桜神社」

甲斐御嶽山金桜神社の社家

金峰山信仰とその周辺

 里宮御嶽が山宮と仰ぐ金峰山(1,595メートル)は、秩父山系西端に立地し、中世に吉野金峯山の蔵王権現(修験道の本尊)を勧請して国峯と呼ばれ、呪術的な験者(山伏)による山林抖擻の一大錬場であった。 彼等は時代が下るに伴い、山を降り山麓に祭祀儀礼の「場」を設け、金桜創建説にもなっている。
 以上の点を念頭に、庶民の信奉し崇拝対象であった霊山金峰山について、僅かに把握する二次的史料等をもって信仰の一端を推考する。 まずは社僧弥勒寺役僧が綴った「砕心録」の冒頭個所を引用する。
夫当国巨摩郡御嶽山権現金越え神社宮、根本者景行天皇四十年度戌年、日本武尊夷退罰に御向まします時、駿河よりあまのむら雲の御剣霊魂となり、甲斐の北山に飛来ると申伝、 其後雄略天皇丙午に出雲の大社を御嶽三社権現宮と奉祝と云伝候。
一本社御神躰ハ、同本地釈迦・文殊・普賢之垂迹、素戔尊・大己貴・少彦名之三神なり、 中之宮は魂生大明神・日本武尊・地主権現也、 東は弥勒堂にて別称弥勒菩薩、稲田姫命なり、 東岩には白山・伊弉諾・伊弉冉尊、 西岩には八両臓権現月よみ日よみ御神のやしろ、 本宮より東、当川へ天神七代の御社西南に当って、八王子・神戸原・神改(令カ)原惣して山中よ神社七八社、 奥の山宮よハ金峯山蔵王権現安閑天王を宣化三年ニ両部に分て奉祝と申伝来候、 其本地素跡は宮に略しと云々。
 日本武尊の降臨譚、および縁は不詳だが研究の余地ある出雲大社の勧請からはじまる外伝縁起、さらに中之宮・東之宮にも触れている。 中之宮の魂生大明神は地主神である。 ただし、金峰山信仰を語る上で興味深いのは、御嶽三社権現である。 本地三身の一つ釈迦如来を充当している。 「東」は「東之宮」と考えられる。