神部神社 山梨県甲州市塩山上萩原 式内論社(甲斐国山梨郡 神部神社)
旧・郷社
現在の祭神 神直日神・大直日神・八十枉津日神・表津少童命・中津少童命・底津少童命・表筒男命・中筒男命・底筒男命
本地 十一面観音

「甲斐国志」巻之二十三
(山川部第四 山梨郡栗原筋)

萩原山[LINK]

〔萩原山〕  東の方都留郡に界し南は初鹿野山、牛奥山なり 嶺を大菩薩と云
[中略]
又残簡風土記に山梨郡東限神部山とあるも此なるへし 上萩原村の岩間明神社記に相伝して云本祠は神部神社なり 中世仏法盛に行はるゝ頃本地仏の観音を山宮に安置せられしより大菩薩の名を得たりと云へり

同巻之三十九
(古蹟部第二 山梨郡栗原筋)

神部山[LINK]

〔神部山〕  残簡風土記に山梨郡東限神部山とあり 今其山適知すへからずと雖も疑ふらくは大菩薩嶺是なるへし 上萩原村岩間明神の社記に相伝へて神部神社と称し又本地仏は観世音菩薩なりと云

「甲斐叢記」巻之五

大菩薩嶺

上萩原村
本村の岩間明神を古へ神部神社と称ひければ、すなはちこの山を神部山と呼びしなり。 残簡風土記に曰く「山梨郡東限神部山」とあるはこれなり。 さるに中世、仏法盛に行はれ、観音菩薩をこの祠の本地仏として、山宮に安置せしより、大菩薩嶺の名起れりとぞ。

田島勝太郎「奥多摩」

大菩薩峠[LINK]

 更に「大日本史神祇志」には
    山梨郡九座
神部神社。〈今在神部荘上萩原村、曰岩間明神、旧址在社東神部山頂〉
とある。 即ち大日本史に従へば旧址のある処即ち神部山である。
 然るに「国志」神社部第三〔岩間明神〕の条を見ると、「山川部」の書き方と全く筆法を異し、
    山梨郡九座
〔岩間明神〕〈上萩原村〉 神戸ニ鎮座ス故ニ神部神社ナリト云(中略)又此ヨリ東ノ山腹ニ矢立石天狗祠等アリ古岩間ノ山宮ナリシト云。云々。
 とあつて、岩間明神の山宮が単に「東ノ山腹ニ」とアッサリ片付けて、上萩原から程遠き大菩薩峠附近にあつたとは思はれぬ書き方である。 此点大日本史の「社東神部山頂」と云つて、社に遠からぬ気持のある文字を用ひたのと相応するのである。
 同社の現社掌文珠川益人氏(国志ニ神主文珠川讃岐とある人の後裔なるべし)からの来信によると、大日本史の旧址と申すは、萩原山の一支脈にて字松田山に山宮現存す。 十一面観世音の像一体今は本社神部神社神段内に宝物として保存致し居れり、とある。
 既に山宮現存し、問題の観世音像は移して同本社神殿中にありと云ふ以上は、前掲、国志「大日本史」の記事を対照して、神部山なるものは、現在の神部神社の附近の山で、大菩薩峠と何等関係なく、又大菩薩峠の菩薩様は岩間明神に関係がなく、岩間明神の本地仏は同神社内に保存されてゐる事が明白である。