辛科神社 群馬県高崎市吉井町神保 『上野国神名帳』所載社(多胡郡 従二位 辛科明神)
旧・郷社
現在の祭神 速須佐之男命・五十猛命
[合祀] 金山毘古命・品陀和気命(応神天皇)・中筒男命・伊邪那美命・大山津見命・建御名方命・八坂刀売命・大物主命・大日孁尊・宇迦之御魂命・木花佐久夜毘売命・天児屋根命・市寸嶋比売命・菅原道真・塩光清
本地 文殊菩薩

「神道集」巻第八

上野国那波八郎大明神事

昔は宮内判官宗光、今は大納言右大将殿と申すは、国の為に父たり、人民の為に母たり、大蛇の為に知識たり。 故に人の喜びや積みけん。 その後神と顕れて、多胡郡の鎮守辛科大明神と申すは、京家の宗光これなり
野粟御前と申すは、尾幡姫これなり。
白鞍大明神と申して、男体・女体在す。 これまた尾幡の権守宗岡夫婦の御事なり。
八郎大明神の御父、群馬大夫満行は神と顕れ、群馬郡の内長野庄に、満行権現とて、満行ミツユキ権現とも読めたり。 今の戸榛名と申すは即ちこれなり。
同じく母御前も神と顕れたまひて、男体・女体在す。 その母御前と申すは、今の白雲衣権現これなり。
戸榛名は本地は地蔵菩薩なり。
白雲衣権現は本地は虚空蔵菩薩なり。
八郎大明神とは本地は薬王菩薩なり。
辛科大明神は本地は文殊なり
野粟御前は本地は普賢菩薩なり。
白鞍大明神と申すは、男体は本地は不動明王これなり、女体は本地は毘沙門天王これなり。

「辛科大明神縁起」

宮内判官宗光大納言右大将と申は、国のためには父たり、夫婦のためには母たり、大蛇のためには善知識たり。 故に人の悦やつもりけん。 其後神とあらはれて、多胡の庄の鎮守辛科大明神と申は京家の宗光の事也
白倉の明神と申は男躰・女躰御座ありける。 是又小幡権之守宗綱夫婦の御事なり。
八郎の大明神之父群馬之大夫満行も神と顕れ、群馬之郡長野の郷に満行権現とて、今の戸榛名と申則是也。
御前も神と顕れ波己曽大明神と顕れ、同脇宮拾弐宮是也。 本地は千手観音、末社七社是也。 去間高田八ヶ村と名付。
戸榛名本地地蔵菩薩。
八郎大明神本地薬王菩薩也。
辛科大明神本地文殊の化身
御前本地普現[普賢]菩薩。
白倉の明神男躰は本地不動明王、女躰は本地毘沙門天王也。

「上野国志」

辛科社[LINK]

末社 八王子、稲荷、諏訪、八幡、若宮、社宮司、天神。
本地堂 文殊菩薩  別当常行院(天台宗、在長根村)。
当郡の惣鎮守なり。 神保村に鎮座。 この地古の辛科なり。
祭礼二月初午、九月九日、十二月初午。 郡中二十七村を、禰宜御幣を捧て御供米と呼びて、御供米を取る。 古へより道筋定りて廻る。
長根村の織裳と云所に井あり。 二月、十二月酉の日、神主夜半に五穀を持参して沈之。 此に逢ふ者は太に凶なりと云。
御除地参段五畝。
神主、禰宜、神女あり。 別に塩村に社家五人あり。
神宝正体鏡あり(金色方一尺二寸)。 表に三尊神像あり。 裏銘、小勧進清原国包、大勧進惟宗入道 建久八(丁巳)十二月午日 源頼朝。
此辺を百済庄と云。