鹿島神社 東京都品川区大井6丁目 旧・村社
現在の祭神 武甕槌神
本地 十一面観音

「江戸名所図会」巻之二(天璇之部)

鹿島大明神社

同所(弘福寺)一丁ばかり西南にあり。 社記に云く、「当社は、安和二年己巳九月十九日、常陸国鹿島の御神を遷し奉る」と云々。 別当を爾現山常林寺と号す。 天台宗にして東叡山に属せり。 本尊は薬師如来、慈覚大師の作。 開基は尊栄法印なり。
[中略]
本地堂(本尊は十一面観世音にして、智証大師の作なりといへり)。

「新編武蔵風土記稿」巻之五十三
(荏原郡之十五)

大井村

鹿島社

除地一段四畝、村の南方にあり、 当村の鎮守なり、 相伝ふ安和二年の頃常陸国鹿嶋明神を勧請せりと、 本社九尺四方 拝殿七間に六間半、 前に石の鳥居あり、柱間九尺許 拝殿の西北に二間に二間半の神楽堂あり、 豊歳を祈んがため毎年六月村民こぞりて神楽を奏す、 九月十五日にも神事ありといふ、
末社 稲荷社 弁天社 共に本社の側にあり、
別当常林寺 除地二段十六歩、社地の北に続けり、 天台宗にて郡中南品川宿常行寺末、爾現山来迎院と号す、 寺伝に云当寺の本尊薬師は慈覚大師の彫刻なり、 開山法印尊栄大師の命を受て此所に鹿嶋社を創立し、又精舎をも建立し此像を安置せり、 後星霜をへて貞和三年了覚法印と云沙門当寺を中興して堂舍も壮麗なりしとぞ、 天正の末年より此辺にて御放鷹などありし時は、屡当寺へ渡らせたまひしが、正保二年別に境内の地へ御茶屋を建らる、 大猷院殿の御時本尊薬師の伝来を尋ねさせられしかば、時の住僧其由来を申上しより後は永く御祈祷所となれり、 御歳四十二の御厄歳に、当山の御殿は恵方なればとて節分の日渡御ましまして御祈を命ぜらる、 又一年此御茶屋にて堀田加賀守御茶を点じ奉りし事有りと云、 其後何の頃にや御茶屋破損に及びしかば、其儘廃せられしなり、 今は其跡に鹿嶋の本地十一面観音の堂を建置り、 又云貞享の頃連年旱魃ありしが、時の住僧栄往法印村内九頭龍権現の社地なる柳の清水と云を加持水となし、当社に於て祈雨の神事を行ひしに、忽好雨降て其年豊なりしとなり、 今もこの遺例によりて毎年六月中旬法楽の神事あり 客殿七間に六間半南にむかふ