「新編武蔵風土記稿」巻之二百二十四
(男衾郡之三)
本田村
春日社
下本田の鎮守なり、
天平二十年の勧請なりと伝へたれど、據とすべき事なし、
社辺に阿弥陀堂あり、是本地仏なるをもて春日堂と称す、
教念寺持、
末社 稲荷
「埼玉の神社 大里・北葛飾・比企」
春日神社
川本町本田2025(本田字杉原)
歴史
当社は『風土記稿』では天平二十年(748)勧請と伝えるが、根拠はないと記している。
一方、社記によれば、当社は河内国(現大阪府)に鎮座する枚岡神社を分祀したもので、創建当時は枚岡神社と称していた。
しかし、平城京への遷都(和銅三年・710)に伴い、藤原氏がその氏神として河内国の枚岡神社を奈良の春日山に奉斎し、春日神社と改称したことから、当社も春日神社と改めたという。
このように、奈良の春日神社とつながりの深い当社の祭神は、本社と同じ天津児屋根命である。
[中略]
また、現在社務所のある所には、かつて春日堂という阿弥陀如来を祀った堂があった。
『風土記稿』にも「社辺に阿弥陀堂あり、是本地仏なるをもて春日堂と称す」とあるもので、茅葺きの堂であったが、昭和三年に改修して社務所としたもので、地域の様々な会合の場にも利用され、住民と神社を結ぶ役割を果たしている。