「江戸名所図会」巻之一(天枢之部)
春日明神の社
三田1丁目にあり。
別当を三笠山神宮寺と号す。
和州三笠山春日四所の御神を鎮座なし奉るとぞ。
三田の産土神にして、例祭は毎年九月九日に修行す。
伝へいふ、当社は村上天皇天徳年間、武蔵国司藤原正房任国の頃、藤原氏の宗廟たるゆゑに、この御神をこの地に勧請せしむるとなり。
その後、文明の頃、法印慶賀、中興す。
本地仏は十一面観音にして、弘法大師の彫造なりといふ。
慶賀、瑞夢によりて、感得の霊仏なりといひ伝ふ。
「御府内備考続編」巻之十九
春日社(三田)
天徳年中勧請之由申伝候、
尤文化三寅年類焼之節書留焼失、委細之儀相知不申候、
○本社 幣殿 拝殿 向拝
神体金銅立像(長三寸三分)
○春日略縁起
抑、人皇六十二代村上天皇御宇天徳年中当国の国司藤原正房任国の時、春日大明神は藤原氏の宗廟たる事をおもひて神体をこの地に勧請するところなり、
後土御門院の御宇文明のころ当社住僧法印慶賀ふかくこの神をあふく、
然るに本地の尊像なき事をなけき旦暮これを祈る、
或夜五更一夢のうちに老翁来て告ていはく、汝か懇祈をあはれむかゆへに、年をこへすして本地十一面の尊像一躯をあたへんと告給ふとおもひて夢さめぬ、
これ霊神の告なる事を信して、これを待、
賢もとより十一面観音の秘軌を伝へて修練する事年あり、
その年いつくともなく行脚の僧十一面観音の尊像を持来て賢にあたへて曰、我夢の告によりて来れりとしめして去ぬ、
賢神言の験あることを感して歓喜踊躍しますます神霊をたふとふ、
夫より当社日々に繁栄して貴賎あゆみをはこひ諸願をさすかことく神徳四遠にかゝやく、
天徳年中より寛政八年まて八百余年に至る也、
相殿 天照皇太神宮 香取大明神 鹿島大明神 春日本地仏十一面観世音木立像(長四寸六分、弘法大師作)
○祭礼、毎年九月九日
[中略]
○護摩堂(間口二間半、奥行二間半)
本尊不動尊木立像(丈三尺二寸)
両童子木立像(丈一尺七寸五分)
[中略]
○稲荷社(間口一間、奥行八尺)
咤喜尼天二体木立座像(丈四寸)
○愛敬弁財天木立像(丈四寸八分、弘法大師作)
[中略]
○別当三笠山妙禅院神宮寺 東叡山末