現在の祭神 |
天児屋根命・経津主神・武甕槌神・姫大神 |
「三国名勝図会」巻之五十七
大井手村にあり。
奉祀四座、天児屋根命、鹿島大明神、香取大明神、天照姫神、是なり。
各木像を安し、古鏡を蔵む。
当社は、村上天皇の御宇、天徳二年、日州三俣院高城東山の麓に勧請し玉ふ。
是荒古、瓊々杵尊垂跡の地なればなり。
本田氏【神社考】云、春日社は、瓊々杵尊、高千穂嶽降臨の時、五部の神第一なり。
三俣院庄内高城に、宮柱を立て、神籠を保ち、守護し玉ふ。
此所垂跡根元の地なるへし云々と。
是に據れば、天徳二年、神託ありて、勧請しならん。
当社所建の地を東山といふ。
高千穂峯の東にありて、行程凡七里。
高千穂峯に対して、東山といへるなるべし。
今は春日山と呼べり。
天文元年壬辰の歳、島津忠朝、北郷忠相等、伊東家高城守将八代長門守等と、不動街に戦ふ。
時に春日山より白鳥二双出て、戦場の上に飛降る。
我軍以て神助とし、勇気を増して奮戦す。
大に敵兵を破り、長門守以下将長若干を斬る。
故に邦君も崇敬して、祭祀怠らず。
同殿に仏像四体を安置して、本地とす。
薬師、地蔵、観音、文殊なり。
別当寺創建するに及て、是を安置せしなるべし。
明暦二年二月の旧記に、其仏像当国に下し時は、五体なり。
日州那珂郡赤江の津に船着しが、此赤江は、春日社の領地なる故、釈迦一体を彼地に留て、春日大明神と崇むと見えたり。
当社に扁額あり。
春日宮の三字なり。
往昔、近衛関白経過の時、手書して喜捨し玉ふといふ。
例祭九月九日、十一月八日。
当邑の総鎮守なり。
社司末原氏、別当を東龍寺といふ。